『剣遊記U』 第五章 鉱泉よいとこ。 (19) その声に心当たり大有りであろう裕志が、おどおどとした口調で、迫り来る木に質問した。
「こ、この声ってぇ……もしかして先輩ですかぁ?」
するとこれまた間髪を入れずに、ドスの効いた声が返ってきた。
「そうたい! てめえら、このオレばひとりのけモンにして、みんなで楽しゅうやりゃあがってからにぃ!」
などと濁声でわめきまくりながら、鉱泉の周囲に広がる樹木をバッサバッサとかき分け、ついにその姿を現わしたる者。そいつはまぎれもなく、杉の大木に丈夫な縄で縛られたままでいるサングラスの戦士こと、荒生田和志その人であった。
しかも荒生田の背中には、こいつをくくっている杉の木が高くそびえ、足元ではなんと、長い根っこを引きずっていた。
これはまさに、信じられないほどの怪力と行動力。この他に表現のしようがないだろう。強いて言葉をつむぎ出せば、『有り得ねえーーっ!』と言ったところか。
「うわっちぃーーっ! 嘘やろぉーーっ! 有り得ねえーーっ!」
荒生田を木に縛りつけた張本人である孝治も、これには史上最大級にたまげてしまった。あれほど念入りに叩きのめし、友美に『眠り』の魔術までかけさせたのだ。それがこんなにも早く、復活する事態になろうとは。
いや、たとえ魔術の効き目が予想よりも早く切れたとしても、縛ってある以上は、ここまで来られるはずがない。なんと言っても担いでいる物は、本物の大木なのだ。
こいつはまさしく、変態的超弩級馬鹿力の賜物{たまもの}であろう。
「せ、先輩って、おれの想像以上のド執念やったとねぇーーっ!」
けっきょく孝治の驚愕は、この結論に行き着くしかなさそうだ。ところが孝治にやられた被害者であるの荒生田の頭の中は、これまたかなり、一般の常識とは異なっていた。それは自分が束縛された怒りよりも、この期に及んでなおも、孝治の裸を見たい一心にあったようなのだ。
「ゆおーーっし! 孝治ぃ♡ そこにおったとけぇーーっ♡」
荒生田がなんと、背中に巨大な大木を背負った格好のままで、豪快なジャンプ(俗に言うルパンダイブ)を決行! もはや地球の引力の範疇も、完全度外視の眼中外である。
「孝治ぃーーっ♡ おまえのおっぱい、舐めさせぇーーっ♡」
「うわっちぃーーっ!」
孝治の悲鳴が、鉱泉周辺の中国山地一帯に木霊した。これは荒生田の底知れぬ超馬鹿力――と言うより超変態力を、甘く見過ぎた楽観による失敗と言えるかも。だがそれ以上に、縛りつけた木が(たぶん)根腐れしていた(としか思えん)らしいことも、大失敗の原因ではなかろうか。
「そ、そうばい! きっとそうに違いなかばい!」
短い時間の間(0.2秒)で、そこまで推察。もはや声に出すのもためらわず、孝治は大慌ての大パニックで、荒生田の予想着水地点から一気に飛び離れた。
他の者たち(友美、涼子、秀正、裕志、到津)も巻き添えは御免と、湯船から我れ先に逃げ出した。
結果、バッシャアアアアアアアアアアアアンンッッと杉の大木がもろに、鉱泉の真上から横倒し。おかげで湯量の半分以上が、鉱泉の湯船からあふれ出る大事態となった。
しかもこれにて鉱泉が、大木で上から圧し潰された格好。これでは当分の間、癒しの場としての用をなせない有様であろう。
さらに荒生田は、哀れにも縛られたまま、大木の下敷きでお湯の中にて、もがく状態となっていた。
「ぐぼごぼがぼぎぼごぼおおおおっ!」
この半死状態であるご様子は、恐る恐る現場に戻った孝治たちからも、よく見てとれた。だけど、誰ひとりとして手を出して、荒生田をお湯の中から助け出そうとはしなかった。
ある意味、自業自得でもあるので。
「これ……どげんしよっか? ……うわっ!」
最初に秀正が、孝治に尋ねた。しかし、これほどの大惨劇(?)が起こってしまうと、尋ねられたほうだって、答えられるわけがない。
「ど、どげんするったってぇ……⛔」
ちなみになぜか、秀正は慌てて、孝治から視線をそらしていた。けれど孝治の今の心境は、それどころではなかった。
「い、今助けたら、絶対またすぐ仕返しされるっち思うとやしぃ……☠」
孝治はとにかく、ふつうに答えた。秀正の変な行動ぶりよりも、荒生田の逆襲のほうが、孝治にとって遥かに脅威なのだ。
このふたりのうしろでは、裕志がまたもや、おろおろとしているだけ。なぜか再び、鼻血をポタポタと漏らしていた。さらにその左横にいる到津は、別の件で頭をかかえて嘆いていた。こちらもなぜか、孝治を見ないようにしながらで。
「おお! なんてことしてくれたあるね☠ これで鉱泉台無しだわや☠ これ元通りにするの、大変大変な大仕事ある☂☃」
そんな騒動の最中だった。友美がそっと、孝治の左耳に話しかけてきた。
「孝治……ちょっと……よか☟」
友美のうしろでは、これまたなぜか、涼子がくすくすと含み笑いの顔をしていた。
「ん? どげんしたと?」
孝治は変な気分になった。それから友美が小さな声でささやき、孝治の周りを右手で指差した。
「ちょっと……みんなの格好ば、見てみ☛」
「みんなの格好け?」
友美から言われたとおり、孝治はすなおに周りを見回した。もちろん全員、慌ててお湯から飛び出したのだ。だから居並ぶ面々真っ裸――というわけでもない。みんなきちんと、腰にタオルを巻いていた。
「これがどうかしたんけ?」
なおも孝治は、友美がいったいなにを言いたいのか、さっぱりわからなかった。ところが友美は急激に顔を赤くして、少々大きめの声で孝治の疑問に答えてくれた。
「わ、わたしが言いたいことは、孝治もちゃんとタオルば巻きなさい、っちゅうことやの!」
「うわっち? うわ……うわっちぃーーっ!」
孝治は今になって、ようやく気がついた。
早い話、孝治のみ体へのタオル巻きを失念。全裸姿の完全無修正堂々公開状態となって、破壊された湯船の縁に立っていたのだ。
それこそ形の整った胸――おっぱいはおろか、一番大事な箇所までも、秀正と裕志、到津の三人に、しっかりと拝見されていたわけ。
つまり先ほどからの三人の変な反応ぶりは、孝治の全裸をまともに目に入れたせいだったのだ。
「う、うわっちぃーーっ! み、見るんやなかぁーーっ!」
「今さら遅かばぁーーい!」
などと絶叫を繰り返したところで、秀正から返されたとおり、それはとても無理な願い事と言えるだろう。孝治は全力で大慌てとなり、湯船の中――ここには荒生田がいるから無理なので、周辺の樹木の中にバサバサと駆け込むしかなかった。
あとで友美から聞いた話によれば、裕志は鼻血の出し過ぎで、とうとう貧血状態になって倒れたとのこと。
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