『剣遊記Y』 第六章 黒崎店長、帰店す。 (5) 大陸から帰国をして早々、黒崎は執務室で従妹――沙織が残した報告書に目を通していた。
「……店の売上げそのものは……そう変わってにゃーようだがや。それより最後の日に、大きな純利益を上げとうなぁ。なんか話によると、荒生田の勝ちで大穴ができてしまい、親の総取りで多額の賭け金が未来亭に入ったということらしいのだが……」
「へい! おっしゃるとおりでんねん☆」
執務室には黒崎と秘書である勝美といっしょに、沢見と沖台のふたりも同室していた。その沢見は勝美から勧められたソファーに座ろうともせず、黒崎の前で揉み手をしながら、商人顔で愛想笑いを浮かべていた。
「売上げの分配は沙織はんとの約束どおり、あんさんらが七でわいらが三っちゅうことなんやけど、それでもわいらのような店舗を持たん商売人には大助かりでんがな♡ まあ、これからもなんかあったら、どこにおったかて、すぐに飛んで来よりますさかいに♡♡」
「そげな機会、滅多にでけんっち思うばってんけどねぇ☢」
「わかったがや☺ 君たちのことを、これから贔屓にさせてもらうよ」
勝美がやや冷やかな目線なのに対し、黒崎のほうはどちらかと言えば、満更でもない笑みを浮かべていた。
「ほんま、おおきにでんなぁ♡」
ピクシーの秘書のセリフは気にしないようにして、沢見は黒崎だけに愛想を振りまくった。しかしこのとき、いかにもお調子者顔をしている沢見に、黒崎は不快感よりもむしろ、なんとも言えない親近感と爽快感を抱いていた。
やや嫌悪の表情を浮かべている勝美とは、まったく対照的に。
その理由はなんと言っても、同じ商売人だからであろうか。それも沢見と沖台のふたりには、自分に欠如しているもの――『自由と気まま』がある――これも大きな理由のひとつであろう。
とは思ってみても、黒崎自身は現実、自由にいろいろな制約のある身。
「こほん、それでは」
ここで咳払いをひとつ。黒崎が机の上に用意していた二枚の書類に、自分自身の氏名を記入。それと押印も忘れなかった。
「君たちにこれを渡しておこう。僕の署名が入った紹介状だがや。これを持っとけば、日本全国どこの町に行っても、そこのギルドに照会するだけで、その町での商売の営業が可能になるがね」
「店長、そがんサービスばして、よかとですか?」
勝美が黒崎の眼前で羽根をパタパタさせながら、もろに疑問を口にした。だけど黒崎は、くちびるの端に笑みを浮かべ、飄々{ひょうひょう}とした感じで答えるだけ。
「ええんだがね。これは沙織に全面協力してくれた、ほんのお礼だがや」
「はい……☁」
ここまではっきりと言われては、秘書の勝美に断固反対の理由はなし。それよりも、沢見の弟分である沖台が、執務机の上まで人間型の上半身を乗り出し、差し出された書類に見入っていた。
「そ、それって、ほ、ほんまでっか! 兄貴ぃ! これは有り難いことでんなぁ! これでおれたち、仕事がえろうやりやすうなりまんのやなぁ!」
だが、このとき逆に、沢見はふだんの冷静さを取り戻しているような、渋い顔付きになっていた。
「落ち着けや、カズ✋ するてえと黒崎はん、なんでっか? これさえありゃあ日本中どこ行ったかて、万事商売ができるっちゅうことでっか?」
黒崎は淡々とした顔で、沢見に答えた。
「そう言うことだがや」
「兄貴ぃ! こないな便利なもん、頂かんわけにはいきまへんで! これでもう、あちこちのギルドに頭ペコペコせえへんでええってわけですさかい!」
すっかりはしゃぎまくりのアンドロスコーピオンであるが、兄貴分の沢見がここで、意外なセリフを黒崎に返した。
「せっかくの御好意なんやけど、わいら自由商人には自由商人の誇りっちゅうもんがありまんのや✍」
「あ、兄貴ぃ……☹」
「ほう、誇りかね」
兄貴分の本当に意外なセリフで、沖台が両目を大きく見開いた。だが黒崎のほうはこれに、再びおもしろそうな顔になって尋ね返した。
「言葉としてはなかなか頼もしいが、それにはいったい、どんな意味があるんだがや?」
沢見はピンと背筋を伸ばして、堂々と黒崎に返答した。
「へい、わいら自由商人には、後ろ盾は不要っちゅうことでんねん✄ いつどんなときでも、わいらは自分で自分の道を探り出し、自分で自分の道を切り開く✐ 人様がこしらえた立派な道歩くんも悪う思わへんのやけど、やっぱり自分で踏み固めた道のほうが性に合{お}うとりまんのや……とまあ、言葉やけやったら納得でけへんかもしれへんけど、わいが言いたいのはこんなとこでっしゃろ✌」
「いや、君の言いたいことはようわかったがや」
黒崎が納得の相槌を打つ。ついでにますます、沢見への好感度も深まった。見た目より、遥かに骨のある男――そのような思いで。それから黒崎は、手元にある書類に、改めて目を向けた。
「だとすると、これはよけいなお節介だったがや。まあ、今回のお礼には、なにか別のことでかんぎゃーてみよう」
黒崎は満足を浮かべた顔で、書類を机の引き出しに戻そうとした。すると沢見が早業で、黒崎がつかんだ二枚の書類をさっと、なかばスリのごとく右手で受け取った。
「おっと、これは?」
「そやけど、せっかくくれはるモンを断るんも、商人の礼儀に反するってもんでんがな♥ そやさかい、これはこれでありがとうもらっときまっせ♡」
けっきょくこの男も、いったいなにを考えているのか、さっぱりわからない。
「ほんなこつ、うーまん(佐賀弁で『大雑把』)な人やなぁ……☻」
勝美が呆れ顔してつぶやくとおりに。
「ま、まあ……君がそれで良ければ、僕にも異論はにゃーがや……」
さらに、やや呆気に取られはしたものの、不思議と黒崎自身には、鼻を明かされた気はなかった。それよりも大物を出し抜くある種の痛快感を、新しく胸に付け加えさせてもらえたほどの気持ちを抱いていた。
「あ、兄貴ぃ……まあ、良かったでんなぁ……☺」
意表を突かれた思いは、こちらもどうやら同じであるらしい。沖台もどことなく、ぎこちない感じでいた。沢見とは長い付き合いであるというのに。しかしそれでも、喜んでいる気持ちに変わりはなさそうだ。
「そんじゃ、ほんまおおきに! このお礼は、いつか必ずさせてもらいますさかい、忘れんといてや☻」
「ああ、いつでも来るがええがや。いつだって歓迎するから。勝美くん、沢見君と沖台君を、きょう予約してある部屋まで案内してあげたまえ」
「は、はい……店長♋」
「ありがとさんやなぁ✌ 沙織はんとおんなじで部屋まで用意してもろうて、ほんま感謝ですわ♡」
黒崎も沢見も、ふたりそろって上機嫌の顔。沖台は先ほどのままの、内心で喜びつつも、ややぎこちない顔付き。おまけにただひとり、疑問を表情に浮かべながらパタパタと半透明の羽根を羽ばたかせる勝美の先導で、大阪商人のふたりが執務室から退室した。 (C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |