『剣遊記13』 第二章 記憶の底の訪問者。 (1) 広い浴場で、美奈子はひとり、肩までお湯に浸かっていた。
現在時刻は、午後と午前が交代するところ。たった今まで未来亭の大浴場は、仕事を終えた給仕係たちの入浴でにぎわっていた。美奈子は全員が終わった時間を見計らい、今このようにして、貸し切りの入浴を堪能しているのだ。
千秋と千夏の姉妹は夕方近くに入浴を終わらせ、今は三人専用の個室(三百二十一号室)で就寝についていた。
実を言うと美奈子も夕方、姉妹といっしょに入浴を済ませていた。ところが深夜になってもどうしても瞳が冴えたままなので、こうしてお風呂をやり直しているわけである。
「なんや……けったいな気分でおますんやけど、深夜のお風呂っちゅうもんも、たまには入りとうなるもんでんなぁ〜〜☕」
周りに誰もいないのを良しとして、美奈子はひとり静かにつぶやいた。
確かに我ながら、不思議な思いがしていた。自分自身の気まぐれな性格は自認をしているのだが、今夜のように深夜風呂をしてみたくなった気持ちは、きょうが初めてかもしれない。
それはそうとして、美奈子が現在入浴中である大きな湯船は、朝になったらお湯が抜かれて、給仕係たちが交替制で清掃を行なう手筈になっていた。従って早朝までに風呂から上がれば、誰にも迷惑はかからないはずなのだ。
ところがひとりで貸し切りだと考えていた浴場なのに、脱衣場のほうからなにやら、ゴトゴトと物音が聞こえてきた。
「なんや、うちだけの風呂や思いよりましたんやけど、やっぱおんなじことするお人がおったようでんなぁ☻」
もちろん未来亭には野郎どもも多いので、美奈子と不幸な遭遇が起こるかもしれなかった。しかしそのときは、得意の攻撃魔術で追い返すつもり。だがその必要は、ある意味無かった――と言えた。なぜなら、この夜遅い時刻に入ってきた者が、美奈子にとっては人畜無害の安心極まる人物であったからだ。
すぐに脱衣場と浴場を仕切る扉がガラッと開いて、美奈子もよく知る人物が入ってきた。
「うわっち! 美奈子さん!」
「孝治はんどすか☺ 良かったらごいっしょに入浴しまへんどすか♪♡」 (C)2015 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |