『剣遊記X』 第五章 結論、美奈子はやっぱり恐ろしい。 (1) 千夏の顔など可奈にとって、当然ながら初対面のはずであろう。
それなのに、天真爛漫の極致ともいえる童顔が、可奈の記憶のどこかに刻み込まれているのだろうか。そんな印象を、端で見ている孝治は感じた。
「……なん言いよんやろっか? あん魔術師の姉ちゃんは……そげんやったら千秋も双子やけ、そうなるんけ?」
そんな孝治の疑問的つぶやきなど聞こえるはずもない可奈が、わざわざ千夏に尋ねていた。
「……おめ……なんて名前ずら?」
これはもはや、人質相手に対するセリフとは、とても言えない部類かも。そんな可奈の右手が、今度は急に、頭上へと持ち上がった。
「きゃっ! な、なんだぁ!」
突然の異常事態に、可奈が驚きの声を上げた。まさに彼女の意思に反して、右手が勝手に上がった――としか言いようのない出来事であった。
「う、嘘ぉ! きゃあーーっ!」
(わかったばい! 涼子っ! ええ調子っちゃよ!)
すぐに原因を察知した孝治は、声には出さずに喝采をあげた。実際、このような芸当が可能な者は現段階において、涼子のポルターガイスト{騒霊現象}以外に有り得ないからだ。おまけに孝治は黙っていたのだが(黙ってばかり)、実は涼子がこっそりと、可奈の背後に忍び寄る様子を、ずっと目視もしていた。
また、今さらながらに当然の話。可奈にも幽霊は見えていないだろう。
『う〜ん、また役に立ったはええとやけどぉ……あたしってやっぱ、便利屋っちゃねぇ☁』
やるだけの力を尽くして孝治の元に戻った涼子が、わざとらしくつぶやいた。
『けっきょくこの手柄かて、孝治と友美ちゃんにしか、わかってもらえんっちゃろうねぇ☁』
「なんね、涼子、ちょっぴし物足りんとね♠♣」
孝治は涼子の愚痴に付き合ってやった。しかしこれは、狼狽しきった可奈にとって、関係のない後付け話だった。
「ちょ、ちょっとぉ! こんなこんねーだろぉ! おめらまだどっがに魔術師さ隠しとうずらかぁ!」
いまだ右手が、宙から引っ張り上げられた状態のまま、大声でわめいているばかり。これも涼子のポルターガイストが今も効いている結果なのだが、当然可奈は、隙だらけとなっていた。
この機を逃さずであろう。千夏が可奈の左足の甲を、思いっきり右足で踏みつけた。
「えいっ……ですうぅぅぅ!」
「きゃああああああああっ! いったあああああああいっ!」
たった今までの怖い振る舞いからは、まったく想像もできない可愛らしい悲鳴。可奈が強烈に張り上げた。
「千夏ちゃんも、なかなかやるっちゃねぇ♡☀」
孝治も感心するとおり、千夏もあれで、かなりの曲者といえそうだ。
「ああん♡ 千夏ちゃん怖かったさんですうぅぅぅ♡」
思わず『嘘吐け』と返したくもなるが、こちらも可愛らしい悲鳴を上げながら、千夏が姉である千秋の元に逃げてきた。
「ようやったで、千夏! さすが千秋の妹や♡」
千秋がこれまた、手放しの喜びよう。妹の千夏を、ぎゅっと全身で抱きしめた。
これで収まらない者が、足踏まれの被害者である可奈だった。
「もう! やったずらねえ! あたしさ本気で怒らせでえ!」
もはや先ほどの千夏に関する疑問など、コロッと忘れたかのよう。可奈が怒りを沸騰させた。頭から本当に湯気が出ていると錯覚するほどに。
「こんおじょうこな娘っ子ぉ! あたしに恥さかかせてタダで済むと思っだら大間違いだらぁ! おめらぁ、こいつら叩きのめしておあげぇーーっ!」 (C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |