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『剣遊記Z』

第六章 華麗なる美の戦士?

     (12)

「デハボクハ、コレデ失礼スルンダナ。ボクノ創造主ガでーたノ帰リヲ、首ヲ長クシテ待ッテルンダナ」

 

 徹哉はひと言ペコリと一礼をしてから、執務室の壁に備え付けている本棚の右横の柱に設置されている赤いボタンを、右手の人差し指で押した。

 

すると本棚が、ガァーーッと左右に開いた。しかもそこには、金属製としか思えない、銀色のドアが備わっていた。

 

 そのドアを開けようとした徹哉を、執務机に座り直した黒崎が引き止めた。

 

「ちょっと待ってくれ。最後にアンドロイドである君に、どうしても尋ねてみたいことがあるんだがや」

 

 徹哉が振り向いた。

 

「マダボクニ、ナニカ用ナノカナ?」

 

「これは僕の個人的な興味なんだが、君があの絵を見て、いったいどのように反応するか。ちょっと知りたいと思ったもんでね」

 

 そう言って、徹哉を呼び止めた黒崎は、右手でその先の壁を指差した。壁には、ある女性のヌード画――今さら名前を伏せても仕方がないけど――つまり中原が下描きまで進めていたはずの、孝治の絵画が飾られていた。

 

 それもしっかりと、完全に完成された作品となって。

 

 絵画に描かれている孝治の裸身は、後ろ姿で膝まで湖面に浸かった格好。背景である向こう岸の、紅葉混じりの森林を見つめるような姿勢で立ち尽くしていた。

 

 モデルの素情(元男)を知らなければ、羽根のない天使が湖で戯{たわむ}れているとしか思えない――そんな幻想的な趣きのある絵画であった。

 

 だが、存在しないはずである孝治のヌード画が、なぜ黒崎の執務室にあるのだろうか。

 

 ぶっちゃげて説明をすれば、中原は実は、ヌード画を見事に完成させていたのだ。それを黒崎が公開前に先手を打って買い取り、中原には特別に頼んで、違う絵を描かせていた。

 

 なぜ、彼らしくもない手段を駆使してまで、黒崎はこのような姑息とも言える入手方法を行なったのか。

 

 理由は黒崎自身にもわからなかった。

 

 彼がハッと気づいたときには、すでに絵を購入したあとだったのだ。

 

 その辺の裏事情など知らないであろう徹哉が、壁の絵を右手で指差した。

 

「コレハ孝治サンノ裸ノ絵ナンダナ」

 

 黒崎は少し照れているような顔付きとなってから、改めて徹哉に尋ね直した。

 

「そうだがね。君にも……つまりアンドロイドにも、美というものが理解できるのかどうか、ちょっと知りたいと思ったものでね」

 

「ソウナンダナァ……」

 

 徹哉が孝治の絵の間近に寄り、ふつうの人間とまったく変わらない仕草で、作品の隅々までを眺め回した。それからひと言。

 

「正直ニ表現シテ、ボクニハ美ト言ウ抽象的ナモノヲ判断スル機能ハ備ワッテイナインダナ。ダケド、ボクノ世界デモ、コノ絵ノ美シサハ多クノ人タチニ通用スルト考エラレルンダナ。人ガ美ヲ探究スル本能ニ、次元ノ違イハナイト考エテイインダナ」

 

「ありがとう。美に国境は存在しないと言うなら、僕も同意見だがね」

 

 徹哉のこれまた優等生的模範解答ではあったが、黒崎としては充分に満足なセリフだった。そんな調子である未来亭の店長に、徹哉がさらに付け加えた。

 

「コレハ蛇足ナンダケドナ、最後ニモウヒト言言ッテモイイノカナ?」

 

「なんだがや? なんでも言ってくれたまえ」

 

 椅子から立ち上がった黒崎に、徹哉が言った。黒崎はこのとき、感情表現が皆無であるはずのアンドロイドにも関わらず、徹哉の口の端に笑みが浮かんだように感じていた。

 

「コノ絵ガコノ部屋ニ存在シテイル事実ハ、孝治サンニハ絶対ニ言ワナイホウガ良イト考エルンダナ。モシコレヲ知レバ、孝治サンノ怒リハボクノ計算能力ヲ遥カニ超エタモノニナルト考エラレルンダナ」

 

「承知した。本当に君の忠告どおりだと、僕もそう思うがや」

 

 アンドロイド――徹哉から痛い所を突かれ、黒崎の笑顔が苦笑気味なものへと変わった。それは日頃の冷静沈着な彼には似合わない――また、ある意味においてとても珍しい、実に人間臭い苦笑いでもあった。

 

                                      剣遊記Z 了


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