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『剣遊記番外編V』

第一章  魔術師とカモシカ少女。

     (5)

「ちぇっ! あい親父、しっかり人の足元見てくれたずらねぇ〜〜☠」

 

 その悪女であるはずの可奈。ぶつぶつと愚痴りながら出てきた所は、神奈川県平塚{ひらつか}市の、とある故買屋{こばいや}。

 

 ここで蘊蓄をひとつ。故買屋とは、一応表向きは一般{カタギ}の宝飾店を装っているのだが、実はその裏、遺跡などでの盗掘品や盗人の盗品などを密かに買い漁る、闇の商人の総称である。

 

 ついでに申せば、山賊や盗人よりも性質が悪いと、世間ではもっぱら、公然の秘密状態にもなっている。

 

 昔ワル(今でもの説あり)だった可奈の顔は、現在でもこの方面の人脈に、しっかりと根付いていた。だけど、せっかく失敬した首飾りが、予想よりも遥かに安い値で買われたのだ。

 

 可奈は不満たらたらの面持ちでため息を吐きながら、故買屋をあとにした。

 

「あたしの名前も、ずいぶん堕ちたもんずらねぇ……寒ささ背中に感じるずらぁ☠」

 

 相手(故買屋)が自分のような一匹狼的ワルを、さらに上回っている連中だと、充分に承知しているつもりでいた。だがこうして現実に上前を撥ねられるようでは、いつか攻撃魔術でぶっ飛ばしてやりたくなるもの。しかし実際にそれを実行したら、次からお宝を買ってくれる『お得意さん』が、いなくなってしまうかも。

 

 だからここは、グッと我慢のしどころなのだ。

 

「九州さ帰るまで、どっかでおごっそうでも食べながら遊んで帰ろうって思ってただにぃ……これじゃ軍資金不足ずらねぇ☠」

 

 そんな風で可奈はため息をさらに繰り返しつつ、自分の右隣りに控える美香相手に、やはり同じような愚痴をこぼし続けた。

 

 その美香は相変わらず、今もカモシカ姿のまま。だけど東海道ですれ違う旅人のほとんどは、このふたり(可奈と美香)を、まったく珍しがってはいなかった。その理由は恐らく、黒衣の魔術師と動物のコンビであれば、大概の人は主人と使い魔の関係だと思っているのだろう。

 

 たとえそうでないとしても、ライカンスロープなど、この世では珍しい存在でもなんでもない亜人間{デミ・ヒューマン}である。そのため、特別天然記念物であるニホンカモシカを連れて街道をふつうに歩いていても、今の時代、まったくふだんどおりの光景なのだ。

 

 それはとにかく、可奈と美香は初めに思い描いていた、温泉や歓楽街で有名な箱根熱海方面行きを、急きょ取りやめ。代わりに選んだコースは、山また山の丹沢{たんざわ}山地。彼女たちは北の方角へと、進路も急きょ変更にした。


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