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『剣遊記番外編V』

第一章  魔術師とカモシカ少女。

     (3)

 屋敷の除霊を成功させた功績を考慮してくれてか。カモシカが台所の野菜をつまみ食いした一件は、伯爵が不問にしてくれた。

 

 そんな理由{わけ}で、カッコを付けたつもりが、見事に台無し。可奈はほうほうの体で、横浜市をあとにした。

 

「もう! 美香のせいで、あたしの面目丸潰れずらよぉ! あんねんまくおとなしゅうしといてって、言っとったのにぃ……☂」

 

 横浜市を囲む城壁から外に出て、森へと入る手前だった。可奈は自分に付き添っているニホンカモシカを相手に、文句をたらたらと並べていた。だけど言われているカモシカのほうは、翡翠{ひすい}色の瞳でキョトンとしたまま、逆に可奈を見つめ返すだけだった。

 

 可奈は深いため息をひとつ。ごしたい(長野弁で『疲れた』)ずらぁ――と言いたい仕草で、自分の眉間に両手を当てた。

 

「まあ……除霊に熱中して、おめさのこと目が行き届かなかったあたしにも、ちっとべぇ責任はあるかもずらぁ……でも、ひとつだけおめさに訊かせてほしいずらよ☞☟」

 

 カモシカが聞き耳を立てて、可奈のそばへ寄った。ここで動物が人間のような行動を取るなど有り得ない――などと考えてはいけない。先ほどから可奈も繰り返しているとおり、カモシカ――美香は、ライカンスロープの一種――ワーシーロー{氈鹿{かもしか}人間}なのだ。ただし、巷であふれる並みのライカンスロープとはひと味もふた味も毛色が異なり、このライカンスロープには、ひとつの大きな問題点があった。

 

「どうして美香は、ずでからカモシカんまんまでおるずらか? おめとあたしの付き合いは子供んころからなんだけどぉ、人ん姿でおる美香といっしょなんは、なから数えるほどしか無えずらぁ♣♠」

 

 特別天然記念物――ニホンカモシカこと三萩野美香{みはぎの みか}と可奈とは幼なじみであり、また大の親友でもあった。そんな可奈の小言が、そもそもわかっているのかいないのか。美香は『?』の動作で、首をななめ右へと傾けるばかりでいた。

 

 いくら動物への変身を得意とするライカンスロープでも、ふだんの生活は人である。だからふつうはその気になったとき以外、動物への変身はしない習慣なのだ。

 

 ところが美香は例外だった。彼女はふだんのときこそカモシカで通して、よほどの場合にしか人に戻ろうとはしなかった。これは幼なじみである可奈にもわからない、美香の七不思議のひとつであった。

 

 だいたい美香は人でいるとき、酒場兼宿屋である未来亭の給仕係を務めている身。だから今回のように、仕事を請けて遠方まで出向く業務など、本来は有り得ないのである。それが可奈と同伴をして、関東地方まで遠出をしている理由は、単に美香のわがままである。

 

「美香ったらぁ……いつまで経っても、あたしから自立してくれんずらねぇ〜〜☁」

 

 可奈は再び深いため息を吐いた。きょうになって、もう何度目になるものやら。だけど美香は幼なじみ兼親友が遠征するとなると、必ずや本業をほったらかし。無理矢理にお伴を決め込んでいた。また店長の黒崎氏も、これに説教のひとつも行なわず、美香の好きなようにやらせていた。ついでに未来亭給仕係一同も、やはり同じ。

 

 そのため可奈も、仕方がなし。親友の同行を受け入れていた。

 

「誰か美香に、まっつぐ注意さしてくれねえずらかねぇ……あたしじゃずでから、荷が重いだにぃ……ま、いいずらか☁」

 

 などとぼやきを繰り返しながらも、けっきょく美香を毎回旅へと連れていく。そんな風もあるので可奈も実のところは、気持ちの底では案外満更でもないのかも。


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