『剣遊記\』 第二章 渚の駆け落ち物語。 (9) 「だんだんございまぁ〜〜っす♡」
女将に一礼をして、桂は永二郎がいるという納屋のほうへ向かった。その納屋は本宅のすぐ裏にあり、本来は藁や薪の保管小屋として使われている所だった。
「……確かに下が藁敷きやったら、寝るにはええと思うんやがぁ……✄」
やっぱいなげななぁ――と、桂はセリフの続きを声には出さないようにしてつぶやいた。それから扉の前に立ち、小さめの音でノックをした。両手が持ち物でふさがっているから、右手の肘を使って小突く格好で。
「ごめんくださぁ……い♡」
「誰ばぁ?」
すぐに中から、永二郎の声が返ってきた。だけど、室内には灯りの点いている様子はなかった。これでは格子の窓から差し込む月や星の光だけが、唯一の照明と言えるのかも。
無論、深海でも行動可能な桂にとって、多少の暗がりなど、なんの差し障りもなかった。
「あたし……昼間、あなたに助けてもらった、人魚の桂ですぅ……⛲」
納屋に声をかけてから、桂はもう一度右手の肘で扉を軽く小突いてみた。すると扉が開かれ、永二郎が顔を出した。納屋の中は桂の予想どおり、藁と薪の他には、一切なにも見当たらなかった。
「や、やあ……君かぁ……⚠」
桂の顔を見るなり永二郎は、ほっとしたような感じの笑みを浮かべた。その笑みの中になんとなく『強がり』のようなモノを見抜いた桂は、ここでも声には出さないようにしてつぶやいた。
(やっぱ……昼間の後遺症があるみたいなもしぃ……⛐)
その思いは胸に隠し、桂は持っているシャコ貝と真鯛を永二郎に差し出した。
「あのぉ……ここにおるって聞いたもんで、そのぉ……昼間のお礼と……薬ぃ持ってきましたぁ♥」
「……な、なんだ。急に来たんでどぅまんぎったけど、そんなへんなーことしなくて良かったのにぃ……血ぃもなんも出てないんだからさー☕」
永二郎は明らかにとまどっている様子でいた。これではやはり、元気に見せている姿が『強がり』の証明なのは、自明の理であった。
(これも男の子の意地やねぇ……☺)
だけど桂は、その考えも表には出さず、納屋の中に入って、永二郎の前で正座をした。
「駄目ぞな⛍ もし内出血でもしてたらどうするんぞなもし⛑ 治療は早めが肝心なんだから⛑」
桂は即立ち上がり、なかば強引に、持参した薬を永二郎の後頭部に塗りつけた。これに永二郎はまったく抵抗をしなかったが、実はけっこう強い力で、桂は青年の体を抑えていた。
「あっが! ……ず、ずいぶんいっぺー沁みる薬だある! これってほんとに内出血に効くーやが?」
口ではいろいろと返しているが、この間永二郎は、それこそまったくの無抵抗状態。もしかしたら桂の気持ちが、まさに身に沁みるほど伝わっているのかも。それでも少しは半信半疑らしく、桂に薬の効能を尋ねているが、人魚の少女はなんの気兼ねもなし。自信たっぷりで答えてやった。
「その点なら安心やが♡ 人魚の薬は万能の特効薬なんよ♡ 成分はクラゲ(カツオノエボシ)の毒とナマコ(ニセクロナマコ)の内臓とクジラ(マッコウクジラ)の糞を煮詰めてねぇ……♡」
「あきちゃびよーー(沖縄弁で『なんてこった♋』)☠ い、いや! もう言わんでええさー☠ もう効いてきたからぁ☠」
「ねっ♡ ほやけんそうでしょ……って、ちょっと効くんが早過ぎな気もするんだけどぉ……?」
固い棍棒で頭を強打されたのであるから、いまだタンコブのひとつでも残っていそうなもの。だが、自分の薬が効いていると思っている桂もその頭を見せてもらったけれど、今や跡形もなし。傷は見事に消えていた。
実際、桂の薬を塗るまでもなく、永二郎の傷は本当に、さっさと自然治癒を果たしていたのだ。だけど、そこは永二郎なりの気づかい。真実のところは曖昧にしてあった。
しかしこれでは、さすがの人魚娘も、なかば唖然とするばかり。
「もしかして……あなたも亜人間{デミ・ヒューマン}ぞなもし? ほうじゃけん、あたしとおんなじで、効き目が早いんかも……♾」
桂は思い切って、永二郎に尋ねてみた。確かに亜人間であれば、ふつうの人間よりも生命力が強い性質は常識である。また、なによりも自分自身がそうであるだけに、桂の指摘には鋭いモノがあった。だけど永二郎も、その指摘には簡単に、物怖じはしなかった。
「正解だわけさー! 人魚じゃないわけやしが、おれはライカンスロープ{獣人}ばぁよ⚝ もっともおれの正体だったら、店の女将さんたちも知ってるだからよぉ⚾」
桂は大きく瞳を開いて、思わず永二郎に抱きついた。
「凄いぞなもし! それでいったい、なんの動物に変身できるんぞな?」
これに永二郎は、照れ臭そうな顔になって、頭を右手でかきながらで答えた。
「いっぺーじょーとーできるもんじゃないさー⛏ まあ、いつかその気になったら、やーに教えてもいいけどさー♬ でも、どぅまんぎるんじゃないよ♧」
「意地悪ぅ♡ 今だっておしなじゃなぁい♡」
思わぬ場所にて出会った亜人間同士。すっかり意気投合したらしい。桂と永二郎の会話は、いつ果てることなく弾み続けていた。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |