『剣遊記\』 第二章 渚の駆け落ち物語。 (6) ぬしゃ誰ね――と尋ねる暇もなかった。真っ先にボコッと、強烈な拳を下アゴに喰らって、若旦那があえなく卒倒した。
「んが……☯」
この突然の事態に、当然ながら子分たちがイキり立った。
「おめえっ! 若旦那になんばしよっとやぁ!」
もはや人魚の娘など、簡単に忘却。四人が一斉に、ひとりっきりの青年に飛びかかった。
先に手を出された被害者はこちらである。だから正当な暴力行為の行使(?)に、これ以上の合理的な言い分はなかった。
そんな色黒の青年――永二郎の無謀な振る舞いに、助けられたはずの桂までが、なかば呆れた気持ちになるしかなかった。
「なんぞな、あれって? 問答無用もええとこやが……☢」
今の桂のつぶやきは、幸いと言うか、永二郎の耳には入らなかったようだ。なぜなら四人組との大がかりな立ち回りが始まったので、もうそれどころではなくなっていたので。
しかし実際、永二郎は強かった。
故郷の沖縄で、いったいどのような鍛えられ方をしたかは知らないが、四対一の不利も関係なし。子分どもをひとりふたりと、簡単に海の上へと投げ飛ばしていた。
ところが髪を緑に染めている男が卑怯にも、うしろから永二郎の後頭部を、(いつの間に用意したのか)木の棍棒でガツッと強打した。
「てめえっ! 舐めんじゃなかぞぉーーっ!」
「うっ!」
これはさすがに、たまらなかったようだ。永二郎は両手で頭を抑え、砂浜に両膝を付けてうずくまった。
それでも永二郎は石頭だった。鮮血も噴き出したりはせず、これでバタンキューとはならなかったのだから。むしろ永二郎を殴った緑髪野郎のほうが両手がしびれたらしい、棍棒を砂浜に落とし、痛そうにうめき声を上げていた。
「い、いってぇーーっ! な、なんちゅう頭しとるんけぇーーっ!」
そいつに続いて桂も、甲高い悲鳴を上げてやった。
「きゃああああああっ! 人殺しぃーーっ!」
「や、ヤバかぁ!」
これには永二郎とケンカをしているチンピラのほうが、いっぺんに浮き足立つ展開となった。桂の悲鳴で周辺の海水浴客たちが、一斉にこちらへ振り向いたからだ。
ひとりひとりは小市民でも、これが集団となれば、まったく侮{あなど}れないものである。
「ひ、引き揚げるばい!」
子分たちは気絶したままの若旦那を四人掛かりでかつぎ上げ、一目散に砂浜から駆け出した。桂の売上金を、しっかりとネコババしたままで。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |