『剣遊記\』 第二章 渚の駆け落ち物語。 (4) 新たな商品を調達したところで、桂は水面にバシャッと顔を出した。それからすぐに、屋台に海産物を並べようとした。
「あれ?」
ところがそこで、売上げの金貨や銀貨、銅貨などを入れていた竹製のザルが、なぜか丸ごと消えていることに気がついた。
「いなげななぁ☹ どこ行ったぞな?」
ここは海のド真ん中だと思い、売上げ金はいつもほったらかしにして、桂は屋台から離れていた。だけどさすがに、不用心が過ぎた感じである。
「いやぞなぁ〜〜! 売上げが消えちゃったら、おまんま食べられんぞなぁ〜〜!」
桂はたちまち泣きベソをかいた。彼女は決して、趣味や道楽で店を開いているわけではない。人魚だって日銭を稼いで、日々の生活費に充てているのだ。
そんなテンション下がり気味である桂の耳に、海岸の方向から、イカれた調子の若い男たちの声が聞こえてきた。すでに前述をしてあるが、水中で主に生活する人魚の聴覚は、空中でも抜群の優れモノである。
「ぎゃははははっ! こりゃ棚ボタみてえな臨時収入ばいねぇ♪」
「こぎゃん金貨とか銀貨ば海ん上に置いとく馬鹿がおるんやけなぁ♡」
「ええっ! 海の上の金貨ぁ?」
金貨や銀貨と聞いて、桂はすぐに砂浜に顔を向けた。
声の主たちは、アロハシャツと水着姿でいる、五人の若い男の一団だった。しかも、この五人が五人とも、髪を金やら赤やら緑やらに染めているのだが、顔かたちは日本人そのまんま。要するに似合わないこと甚だしかった。
おっと、今は彼らの姿格好など、どうでもよし。もっと重要な事態は、彼らが桂のザルを砂浜に置いて、ワイワイと騒いでいることである。
どうせならザルなどさっさとどこかに捨てて行けば、桂も犯人がわからないまま、お金をあきらめていたかもしれなかった。だけど、なまじわかってしまったばかりに、これはほってはおけない事態となった。
「ああーーっ! それあたしのお金ぞなぁーーっ!」
取るものもとりあえず、桂は砂浜まで猛烈なスピードで泳いだ。それから波打ち際に到着するなり、大声でわめき立ててやった。
「それ、あたしが稼いだお金ぞな! すぐ返してつかーさい!」
「な、なんねぇ?」
桂の大声は、男たち全員をたちまち、海のほうへと振り向かせた。
「なんや、こいつは?」
「見てみんしゃい、人魚ばい☛」
いきなり現われた人魚の少女に、男たちは一時的だが困惑の表情を浮かべた。だけど野郎どもの驚きなど、桂には関係なかった。
「そのザルに入っとったお金はあたしのよ! すぐに返してつかーさい! でないと、がいに怖いことになるぞなぁ!」
桂は水面から上半身だけを乗り出して、男たち相手にハッタリをかましてやった。ここで当たり前だが、下半身は魚体なので、このままでは陸上に上がることはできなかった。それを見透かしてか、男たちが馬鹿笑いを再発させた。
「ぎゃははははっ!」
「そうけえ、こん金、ぬしのモンけぇ!」
「そぎゃん言うとやったら、返してほしけりゃ陸に上がってきんしゃい☻」
などと口汚い笑いを続けながら、男たちは桂に背中を向けた。しかも無情にも、浜辺からわざと遠ざかって行こうとする悪辣ぶり。
実際桂もその気になれば、陸に上がるなど造作もないことだった。
人魚の特殊能力のひとつ。下半身を魚体から人間の二本足に変形させれば良いのだ。しかし、それを実行するには、とても大きな難があった。
「見てみいよ! この人魚の女、顔が赤こうなっとうばい☞☻」
「陸に上がるには、下になんか着らんといけんけねぇ☢ 下半身すっぽんぽんはいけんばい♡」
いったいどこでそのようなつまらない知識を得たかは知らないが、男たちは人魚の特性――ある意味弱点を熟知しているらしかった。その点を突いて、桂をからかってくれたのだ。
「もぉ〜〜!」
くやしさのあまり、桂は瞳から涙があふれ出そうになった。できれば今すぐにでも彼らを追い駆け、稼いだ金を取り返したかった。だけど人魚である自分は、それを実行できないでいるのだ。さらに加え、このような下品な連中に、自分の涙を見せたくはなかった。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |