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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (20)

「よっしゃ、ええがや」

 

「はい、店長は採用っち決めましたばい♡」

 

 たった一回、箇条書きで簡単に書かれている履歴書を、斜め読みしただけだった。それで未来亭の店長黒崎と、秘書の勝美は桂に対する面接を、まったくのひと言で終了させた。

 

「えっ?」

 

 面接が行なわれている最中、生まれて初めて拝見するピクシーの存在に、桂は瞳を釘付けにされていた。

 

 この状態は、付き添っている永二郎も同じであった。だがそれ以上に、面接結果のあまりの拍子抜けぶりで、桂も永二郎も、今や返す言葉を失っていた。

 

 ここは北九州市内で一番の大手と言われている、酒場兼宿屋の二階店長執務室。桂と永二郎のふたりは室内の応接用ソファーに腰を下ろし、理由のよくわからない妙な緊張感と恐縮感を強いられている格好となっていた。

 

 そんなふたりの真正面にある事務机の上で、採用を告げる手の平サイズの身長である秘書の勝美(背中には半透明のアゲハチョウ型の羽根付き)。さらに事務机に堂々と鎮座している店長の黒崎とのコンビは、まさに異色中の異色的オーラを、その全身から発していた。

 

 しかも、この黒崎なる人物。これがどこからどのように見ても若々しいのに、その体からはオーラだけではなく、さらに途方もない威厳と貫禄をも、桂は圧倒される感じで受けていた。

 

「あ、あのぉ……☁」

 

 そんな心境の渦中にある桂は、恐る恐るの上目づかいで、黒崎と勝美に尋ねてみた。

 

「なんだがや?」

 

 勝美は机の上の書類整理(全身労働)に当たっていたので、黒崎が返事を戻してくれた。桂はツバをゴクリと飲む思いで訊いてみた。

 

「……ほ、ほんとにあたしを……そのぉ……採用してつかさるんですか?」

 

 黒崎は座ったままの姿勢で、はっきりと答えてくれた。

 

「採用だがや。聞こえにくかったら何度でも言うがね」

 

「い、いえ! よっく聞こえましたぞなぁ!」

 

 桂はソファーから飛び上がりかねないほど、自分の声を裏返させた。

 

 桂と永二郎は天草から旅立ったあと、ふたりで暮らせる安住の地を求め、北九州市まで一週間をかけてたどり着いていた。

 

 海の家の女将からは、天草からなるべく遠くに離れるように言われていた。だがふたりはどうしても、九州から出て行く気にはなれなかったのだ。

 

 だから九州の北の端まで来て、そこで旅の足は終了。さらにそこへ、ちょうど未来亭という名の一風変わった名称である店の、『給仕係募集中』なる貼り紙が、ふたりの目に留まる結果となった。そこですぐに履歴書持参で駆け込んだら、話の展開が前述のとおり、即円満採用となったわけ。

 

 まるで絵に描いたような、順風満帆の出だしとなった。

 

 ここで書類(桂の履歴書など)の整理を終えた秘書の勝美が、桂に顔を向けて言った。

 

「皿倉桂さん、あさんは、あとで従業員たちに私から紹介しますけん☺ それと、脇田永二郎さんやったですね☞」

 

 桂のほうは、これにて一応落着したらしい。続いて永二郎の番となった。

 

「は、はい!」

 

 先ほどから続く緊張のためか、永二郎の声も裏返っていた。だけど勝美は、まったくのお構いなし。初対面からまるで変わっていない、事務的口調で話を続けてくれた。

 

「当未来亭では残念ながら、男性従業員の募集は行なってませんとやけど、市の港湾ギルドのほうで若い船員ば捜しよたごたるから、そこにあなたば紹介させてもらいますけ☎ これで良かったとですよね? 店長♡」

 

「そうだがや」

 

 勝美が顔を向けると、黒崎がコクリとうなずいた。もちろん緊張感と恐縮感の渦中にいるままの永二郎は、大袈裟な動作で思わず直立不動のようにソファーから立ち上がり、そのままペコペコと何度も頭を下げた。

 

 それから改めて、黒崎が桂と永二郎のふたりに言った。

 

「どうやら君たちは仲の良い者同士であるようだけど、船乗りと給仕係ともなれば、これから逢う回数が制限されるようになるかもしれんがや。それでも辛抱できるがやか?」

 

 これはある意味、念を押したかたちの、黒崎からの問いかけであった。しかし桂と永二郎はあえてためらわずに、コクリとうなずきで返してやった。

 

 一方は海で、もう一方は街。一見離れ離れのようではあるが、決してふたりが引き裂かれたわけではない。

 

 船が港に戻れば、ふたりは必ず逢えるのだから。


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