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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (18)

「永二郎さぁん! こんなとこ早く逃げちゃうぞなぁ!」

 

「きゅおおおーーん!」

 

 またふたりの考えも、初めっから一致をしていた。そんな桂と永二郎がお互いを認識し合う一方で、蛭蚊たちは突然現われたシャチに対し、突発的なパニック状態となっていた。

 

「ぎゃあああっ! 食べられるぅーーっ!」

 

「こんおちゃっか(熊本弁で『生意気』)野郎ぉ! 若旦那のオレよか先に逃げんやなかぁーーっ!」

 

「せからしかぁ! 若旦那もイン{犬}もなかばってぇーーん!」

 

 蛭蚊を含む五人はこの調子で、我先に争って桟橋に上がろうともがいていた。しかし無論この有様では、まるで地獄の釜の底での、『蜘蛛の糸』状態。なかなか上に這い上がれない。つまりは醜い争いが展開中。

 

 実際、このような無様を目の当たりに見せつけられれば、大抵の人は仕返しする気分さえ萎えてしまうだろう。だから桂も、仕返しよりも逃走のほうを最優先にした。

 

「永二郎さん! あたし、しっかりつかまってるから、あいつらの上を飛び越えておしな!」

 

「うおおおん!」

 

 永二郎もすぐに、桂の意図を理解した。それからただちに、遊泳速度をアップ! 蛭蚊たちが溺れている方向へと突進! 桂は永二郎の背ビレの前のほうに、両手でガッチリとしがみ付いていた。

 

「ひいーーっ! こっちば来たぁーーっ!」

 

 蛭蚊が甲高い悲鳴を上げた。すぐに彼の子分たちが若旦那の頭を踏み台にして、先を争って壊れかけ状態の桟橋に上がろうとした。

 

 それらを狙っているわけでもないが、永二郎は派手な水しぶきを上げて、海面からザッバアアアアアアアアアアンンンと、一気に飛び上がった。

 

 さらにそのまま、生け簀の外までドッボオオオオオオオオオオンンンと大ジャンプ! 桂も振り落とされまいと、必死の思いで背ビレにかじり付いた。

 

 頭上をシャチから飛び越えられ、再び海面に落ちた蛭蚊たちは、全員が海中で失禁をした。しかも誰もがそのまま声も出せず、ただ呆然と口をポッカリ開いて、海面にポカンと浮かんでいるだけ。自分が溺れていることも忘失。金や赤や緑に染めているはずの頭髪が、今やそろって白色へと変化もしていた。

 

 永二郎はこのような彼らの無様な姿には振り返りもせず(鯨類の体形上、振り返ることは無理か)、まっすぐに大海原をかき分けた。背ビレにしっかりと、桂をつかまらせたままで。

 

「やったぁーーっ♡ あたしたち、助かったんぞなぁーーっ♡」

 

「きゅおおおお〜〜ん!」

 

 感激と興奮で打ち震える桂の体は、永二郎の光沢のあるツヤツヤ肌に、見事ピッタリと密着していた。つまり、そのままである桂の胸の(生の)感触が、永二郎に直接伝わっているわけ。

 

「きゅ……うおおおん……☃」

 

「永二郎さん、なんだか吼え方が変なんよ?」

 

 元の海水浴場へと逃げ延びるまで、桂は永二郎の照れに、まるで気がつかないままでいた。


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