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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (17)

「うわぁーーっ!」

 

「あひぇーーっ!」

 

「こらぁ! それはオレが使うとたぁい!」

 

 溺れながら、桟橋の残骸(木材の破片)を奪い合う蛭蚊たち。その同じ桟橋上でうずくまっていた桂も、この異変に巻き込まれた格好となった。

 

「やだあああああっ!」

 

 けっきょくジャバアアアアンと、海に転落。するとすぐに、二本足だった下半身が変形を開始。桂は元の魚体へと還元された。

 

「な、なんがあったんぞな……いったい?」

 

 桂は水面から頭だけを出して、周囲の様子をうかがった。その瞳の前でザバザバザバアアアアッと、先ほどのホホジロザメよりも遥かに巨大な背ビレが浮上した。

 

「こ、これって……サメの背ビレじゃない!」

 

 さすがに桂は海の民――人魚なだけあって、海に関する知識が豊富。

 

イルカの背ビレに似てるけど……もっと大きい!」

 

 そんな桂に解答を贈るかのようにして、背ビレの持ち主が、巨大な全身を海上にドドドドドッと現わした。

 

 月明かりに照らされ、桂の視界にその姿が、くっきりと写し出されたのだ。

 

 背面は黒一色だが、腹部が対照的に純白の二色模様。人間の身長に匹敵するような、直立した三日月型の背ビレ。両側の目のうしろには、白い楕円形の白斑も刻まれている。

 

 確かにイルカにも似ているが、それよりももっと勇猛。また、サメよりも強力な生物といえば、桂の知識に限ってみても、答は他には考えられなかった。

 

「シャチぞな! でもどうしてシャチがこんな所にいるのぉ? いなげな話ぞなぁ……♳♴」

 

 桂のこの疑問に答えることはできないようだが、全身をあらわにしたシャチが、その鼻先を人魚に向けた。

 

 たった今、人喰いザメをズタズタにしたに違いないのに、不思議と桂は、シャチに対する恐怖感が湧かなかった。なぜなら楕円形をした白斑の前にあるシャチの目に、桂は柔和な温かみを感じ取ったからだ。

 

 それはついさっきまで、人の姿をしていた者と同質の、温かみのある瞳。そうなれば、もう答はひとつしかなかった。

 

「永二郎さんねぇ! 永二郎さんってぇ、ワーオルカ{鯱人間}やったんだぁ!」

 

「きゅおおおおおーーんん!」

 

 桂に応えてシャチ――永二郎が吠えた。ここでついに感極まり、桂は永二郎の巨大な体に抱きついた――とは言っても、シャチの体が大き過ぎて、とても両手で抱きつくようなわけにはいかなかった。そこで仕方がないから、桂はシャチの右脇腹の所に、ピッタリと張り付くような格好となった。

 

 厳密に区分を行なえば、人魚とワーオルカ。それでも種族は違えど、同じ海の民同士。存在する壁など、ほんの些細なモノでしかなかった。


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