『剣遊記\』 第二章 渚の駆け落ち物語。 (16) 蛭蚊の足元にボトッと転がり落ちた『それ』は、砂保罰家がとても大事に飼育していた、愛玩動物のモノだった。
「げえっ! なんねこれぇーーっ!」
「どぎゃんしましたぁ! 若旦那ぁ!」
若旦那――蛭蚊の突然の悲鳴で、桂に対する集団暴行(未遂)を一時中断。子分どもが慌てて、蛭蚊の元に駆けつけた。そこで彼らも若旦那と同じようにして、その場で腰を抜かす醜態を晒す結果となった。なぜなら蛭蚊の足元に転がっている物体が、とにかくとんでもないシロモノであったからだ。
「わひぇーーっ!」
「ばぁーーっ!」
「な、なしてぇーーっ! サメんドタマねぇーーっ!」
お終いで音目麗が叫んだとおり、凶暴なはずであるホホジロザメの頭部が、まるでさらし首のように桟橋上に転がり、巨大な鼻先を虚空へと向けていた。
「わ、若旦那ぁ! こ、こりゃいってえ何事でぇ!」
子分全員が音目麗と同じようにして青ざめるが、親分である蛭蚊も、だいたい似たような顔をしていた。
「わ、わっどみゃ、し、しっかせい! と、とにかくオレかて、わ、わからんとばい! な、なんがあったんか……♾」
確かになにがあったのかはわからないし、また、どのような方法を使ったのか、まるで見当も付かなかった。だが、かろうじてわかる原因は、ただひとつ。
「あん野郎ぉ! 大事な金貨三千枚分のサメば殺りやがったとばぁい! とつけむにゃあ許さんけねぇ!」
このような所業をやらかした者は、現在海中にいる永二郎しか考えられなかった。
「わらみてえな虫ケラよか、たいぎゃ大事な砂保罰家のサメなんやけねぇ! ほんなこつあくしゃうつぅ! いつまでもおっこいついて潜っとらんで、早よ上がってこんねぇーーっ!」
海に落とした張本人は自分たちのくせして、世にも勝手な妄言をほざいて、蛭蚊が生け簀に向かってわめき立てた。そのついで、子分たちにも命令した。
「銛{もり}ば持ってこんね! やつば突き殺してやるんやけ!」
「へい!」
すぐに差身邪がこれに応じ、銛の用意が間に合わないので代わりに自分の手持ちの槍を、蛭蚊に渡そうとした。そのとき彼らの真下からバッシャアアアアアアンンッと、突如巨大な生物が飛び上がった。それも頑丈な木製の桟橋をバキッバキッバキッと下から叩き割り、蛭蚊たち全員をザッバアアアアアンンと、海面へ放り込んでしまった。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |