『剣遊記\』 第二章 渚の駆け落ち物語。 (15) 「若旦那、この人魚もエサにしちまう前に、おれたちでうつくしゅう楽しむっちゅうのはどぎゃんです?」
このとき差身邪がほざいたつまらない発案に、蛭蚊は薄ら笑いを冷徹な感じの表情に変えて応えた。
「けっ! こん人魚女に色気ば出したばいね☻ まあよか✋ 勝手にしたらよかろうも✌」
自分も初めは、その気だった。しかし今は、蛭蚊の興味はサメのほうへと向いていた。そこで桂の背中を乱暴に右手で小突き、蛭蚊が子分どもの前に、哀れな犠牲者を押し出した。
「きゃあっ!」
「けへへへっ♡」
すっかりだらしない顔付きで、口から涎を垂れ流す野獣ども。そんな連中の前に突き倒された桂は、まさにスケープゴート{生け贄のヤギ}そのもの。
「こ、来ないでえ! せられぇーーん(愛媛弁で『しないでぇ』)!」
こちらもすっかり怯えの人魚娘――桂は、野獣どもから取り囲まれた中、必死の悲鳴を張り上げた。だが、やはり在り来たりの抵抗など、野蛮極まる彼らには、なんの効果も表わさなかった。この一方で蛭蚊は、今は強姦よりも残酷場面とばかり、完全に生け簀の真ん中あたりに目を向けていた。
深夜なので状況がよくわからないのだが、恐らく水面下では永二郎がホホジロザメに襲撃され、今ごろはバラバラに食いちぎられている――はずである。
海面がバシャバシャと泡立っている様子からも、だいたいの想像――人体が肉のコマ切れと化していく残酷シーンが、蛭蚊の頭に浮かんでいた。
「どうせなら、昼間にこれば見たかったもんばいねぇ⛾ その点残念ばい⚉」
このような勝手極まる本音を隠しもせず、蛭蚊は生け簀の海面が真っ赤に染まる光景を期待していた。
だが、突然生け簀の水面をバシャッッ割って、そこから牙が生えそろった、巨大なアゴが飛び出したではないか。
「わひいっ!」
これに意表を突かれた蛭蚊が、その場で腰を抜かす事態となった。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |