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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (14)

 若旦那――蛭蚊の意図は、すでに充分承知済み。音目麗が永二郎の右手を、自分の左手で強引につかみ取った。

 

 それからナイフの刃先で、その手の甲に浅い傷を斬りつけた。

 

「あっがっ!」

 

 ライカンスロープの自然治癒力がいくら優れていても、痛覚は一般の人間と、まったく変わらない。永二郎は思わず右手を引いたが、日焼けをしている肌に大きな切り傷ができてしまい、そこから赤い血がポタポタと流れ落ちていた。

 

「これでよか☻ あとはサメが始末ばしてくれるとやけ☠」

 

 蛭蚊は本気であった。彼は本心から軽い気分で、永二郎と桂をサメのエサにしようと考えているのだ。また取り巻きの子分たちもこの残虐なる遊戯に、なんの疑問も抱いていない様子でいた。

 

「さっ、生け簀にドボンと飛び込んでもらうったいね♐ まずは男んほうからばい✄」

 

 もちろん蛭蚊におとなしく従って、永二郎はすなおに飛び込むはずがない。しかしこの抵抗も、儚いものといえた。

 

「若旦那が飛び込めっちゅうとろうがぁ!」

 

「うわあーーっ!」

 

 うしろから差身邪に右足で蹴飛ばされ、永二郎は無理矢理生け簀の中へ、ザバアーーンッと落とされた。

 

「きゃあーーっ!」

 

 桂は悲鳴――と表現するよりも、絶叫に近い叫びを張り上げた。

 

 永二郎の落とされた生け簀は、サメが飼われている所とか網一枚で隔てられている、右隣りの場所だった。そこもやはり網で囲った生け簀であるが、サメの飼育場とは水門ひとつで繋がっていた。しかも水門を開けば同じ海中となり、そこは桟橋の上から簡単に開けられるようになっていた。そのような場所なので、すでに獲物の血を嗅ぎ取ったらしい。ホホジロザメが早くも興奮しているかのように、桂の瞳には見受けられた。

 

「……え、永二郎さんがなんの動物のライカンスロープか、まだ聞いてないんだけど……あんなサメに勝てるわけない……⛔⚠」

 

 しかし、海に落ちた永二郎は、なぜかそのまま浮かんでこなかった。ところがそんな状態でも構わず、蛭蚊が子分どもに命令を続けた。

 

「よっしゃ、水門ば開けりや⛇ これから史上最大の残酷ショーの始まりやけな♡」

 

「やめてつかーーさぁーーい!」

 

 桂は声を思いっきり大にして、再び叫んだ。それでも蛭蚊たちは聞く耳なし。子分たちは嬉々として若旦那に従い、四人がかりで水門の扉を、桟橋上から押し開いた。

 

 すぐに人喰いザメが、水門を通って隣りの生け簀に突入した。

 

 血の香りがサメの狩猟本能を、極度に刺激しまくるからだ。

 

「そぎゃんおめかんでよか✋ あのあんじゃもんば喰われたら、次はぬしん番やけね☛」

 

「あんたたち! それでも人間ぞな!」

 

 月明かりを背景にして、さらに薄ら笑いを深める蛭蚊たち。桂はそんな彼らに向かって、精いっぱいの抵抗を張ってやった。だがしょせん、在り来たりのセリフでは、彼らにはそれこそ蚊が刺すほどの痛撃も与えられなかった。

 

 蛭蚊が桂に応えた。

 

「人間ばい☻ 少なくとも亜人間{デミ・ヒューマン}やなか⛅ オレん親父かて、屋敷に盗みに入った盗人ば、今のオレみたいにサメのエサにしたんばい☠ やけん、それとおんなじことばして、なんが悪かっちゅうとや♣♠」


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