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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (12)

 海底で暮らせる人魚の聴覚が優れていることは、これはすでに何度も紹介済み――なのだが、ここではなんと、永二郎の耳も、桂には劣っていなかった。それどころか身内限定とはいえ、足音が誰のモノかを聞き分ける実力までも備えていた。

 

「凄い! 永二郎さんも耳がいいんぞなぁ♡ それも誰か人までわかるんやがぁ♡」

 

 もちろんその気になれば、人魚にも聞き分けの能力はある。だけど桂自身は、実は自分の耳を、そこまで鍛えてはいなかった。だが誉められた永二郎本人は、桂の絶賛に応えるどころではない様子でいた。

 

「この足音と息づかい……昼間のあったー(沖縄弁で『あいつら』)だぁ!」

 

「ええっ! 嘘ぉ! あの泥棒連中ぞなぁ!」

 

 盗られた売上げ金は、けっきょく元には戻らなかった。だけども今となっては、とっくにあきらめがついていた。それよりも桂は、どうして今ごろになって彼らが、この納屋までわざわざやって来たのか。その理由のほうが、まるで見当が付かないでいた。

 

 しかし付くも付かないも、彼らにとっては、理由など関係なしのようであった。納屋の扉がガタッと乱暴に開けられた。すぐに金髪を先頭に昼間の男たちが、月光を背景としてニヤけた顔をあらわにした。

 

「へっへっへっ♪ ちょうどお楽しみんとか悪かばってんが、邪魔しに来てやったとばい♡」

 

 天草諸島の統括者――砂保罰伯爵の馬鹿息子蛭蚊が、桂と永二郎のふたりを蔑むような目付きで舌舐めずりをした。

 

 また、周りの四人も同じ部類の顔でいた。しかも全員が全員、革の鎧で身を包み、おまけに剣と槍までも装備していた。

 

 これは恐らく、昼間のケンカで、永二郎の手強さを知っての用意周到であろう。だけどもハッキリ言って、素手の相手に行なう所業ではなかった。もっとも彼らのようなチンピラ風情に、そのような殊勝な心がけ(正々堂々)など、初めっから望むべきもないのだが。

 

 つまりは要するに、勝利こそ正義。勝てば官軍なのだ。

 

「あ、あんたたち! きょうの仕返しに来たつもり!」

 

 これでもけっこう気の強さを自認している桂は、まっすぐ彼らを右手で指差し、反抗の意を示してやった。ところが永二郎が右手を前に出し、桂を制して止めさせた。

 

「いったー(沖縄弁で『おまえたち』)が用があるんはおれだけだろ♐ この子は無関係さー⛔」

 

 だが蛭蚊は永二郎の言い分など、まるで聞く気はないようだった。逆に口の端に、気持ちの悪い薄ら笑いすら浮かべていた。

 

「けっ! そうは行かんとたい☠ それよか、ぬしらふたりがいちゃついてくれるもんやけ、簡単に見つけることができたとばい✄ もっともその分、オレたちば嫉妬させてくれたばってんけどなぁ♨」

 

「へへっ♡ そうですばい♡」

 

 無論子分である差身邪たちも、若旦那(親分)と同じように、気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべていた。

 

 それら子分に蛭蚊が、目配せで指示を下した。

 

「こんふたりば連れてくばい! オレの屋敷にやな☕ そこで楽しい余興ばするとやけぇ♡」

 

「へい♡ 若旦那♡」

 

 若い男女を虐げる行為が、快感で快感でしょうがなかぁ――といった顔付きで、四人は蛭蚊に、さもうれしそうな態度で従った。

 

 永二郎と桂は、そんな彼らから剣と槍を突きつけられているので、ここではなんの反撃も抵抗もできなかった。


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