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『剣遊記\』

第二章 渚の駆け落ち物語。

     (1)

 ある夏の真っ盛り。

 

 九州の中部、熊本県天草{あまくさ}諸島のとある海水浴場は、きょうも大勢の海水浴客たちでにぎわっていた。

 

 もちろん砂浜には多くの『海の家』が軒をつらね、何十本もの幟{のぼり}が様々な色を添えていた。

 

 そのような中にあって、彼女の出店だけは、他とは少々色合いと趣きが異なっていた。

 

「えぇ〜〜、採れたてのアワビワタリガニぃ、いかがなもしぃ〜〜♥」

 

 白い砂浜で、彼女の澄んだ声音が響き渡った。それは栗色の髪をした、地元の少女のものだった。ただし、その商売方法は少々変わった――なんてものではなかった。とにかく説明がむずかしいのだが、かなり毛色が違う形式をしていた。

 

 このときバシャッと、少女が海の幸を並べている屋台の上に、小さな波しぶきがかかった。ところが少女は、ちっとも慌てるわけでもなし。簡単に商品を並び替えただけで、元どおりに商売を再開させた。

 

 そうなのである。少女の売り場は砂浜から離れた陸地ではなく、なんと海面にポッカリと浮かんでいるのだ。

 

 それこそ海上に木製の屋台を浮かべ、大きめのパラソルを一本、くくり付けているだけの格好で。

 

「おーーい! アワビとエビばくれんねぇ!」

 

「はぁーーい♡」

 

「こっちはウニとハマグリばぁーーい!」

 

「だんだん(愛媛弁で『ありがとう』)ございまぁーーっす♡」

 

 少女の海産物は、海水浴客たちから飛ぶように売れた。その理由は砂浜のあちらこちらで焚き火が燃やされ、焼き肉ならぬ焼き魚でのバーベキューパーティーが行なわれているからだ。

 

「桂ちゃん、きょうも商売繁盛ばいねぇ♡」

 

「はぁーーい♡ がいに儲かってますよぉーーっ♡」

 

 砂浜から白の割烹着を着ている同業の中年女性に声をかけられ、海上の売り子の少女――桂は、元気いっぱい。両手を振って彼女に応えた。これに中年の女性――海の家の女将{おかみ}も右手で振り返し、さらに笑顔も浮かべていた。

 

「それにしてもばってんやけど、海ん真ん中でむしゃんよか(熊本弁で『かっこいい』)商売するなんち、桂ちゃんしかできん芸当ばいねぇ✌ ほんなこつ、うもう考えたもんばい✐」

 

 桂も笑顔で女将に返した。

 

「きゃはっ♡ あたし、こんないなげに生まれて良かったぁ♡」

 

 さらに両手を振りながら、桂は海面から水上にバシャッッと跳ね上がった。

 

 その桂の姿――上半身にはきちんと赤いビキニの水着を着用。

 

 これは問題なし。しかし問題な実態は桂の下半身で、ふつうの人間の二本足ではなかった。

 

 むしろ硬骨魚類の流線型。おまけに緋色の鱗で覆われ、体格に見合った大きな尾ビレまでも備えた、その姿。

 

 桂は他種族の人々から、『人魚』と呼ばれている少女なのだ。


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