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『剣遊記V』

第一章  怪盗暗躍。

     (7)

 正午近くになって、未来亭店長黒崎氏が、馬車にて帰店。道中、よほど到着を急がせたらしい。上品な装飾で彩られていたはずの馬車の車体は、あちこちの塗装が剥がれ落ち、車輪もグラグラと、泳ぐように外れかけていた。

 

 おまけに限界以上の馬力で走らされたであろう二頭の馬も、両者ともに口からぜいぜいと、苦しそうに息を荒くしている始末。この二頭に鞭を振るった臨時雇いの御者本人までが、服装から頭のてっぺんまでの全身、埃まみれの有様だった。

 

 それでも黒崎は、秘書である勝美といっしょ。いつもの澄まし顔のまま。壊れかけているとしか思えない馬車から平然とした姿勢で降り立つと、すかさず店頭で迎えに出ている給仕長の熊手に、矢継ぎ早の指示を下した。

 

「緊急の事態だったんで特別に急いでもらったがや。御者の方は店内で休ませて、いつもより割り増しの料金を払ってやってくれ。それから馬車の修理費と……そうだがね、馬にも充分に介護と休養をさせんといけないきゃーも」

 

 さらに黒崎は、ズラリと並んでいる給仕係の面々にも顔を向けた。

 

「馬車の中で彩乃がのびとうがね。だから誰か水を……いや、血かな? とにかく早く持ってきて、彩乃を介抱してやってくれ」

 

 これにて、ひととおりの指示を出し終えたらしい。あとは任せたと言わんばかり。黒崎が速足(足も長い)で、店内の盗難事件現場へと急行した。

 

 このとき孝治と友美も、今は戦士と魔術師の普段着である軽装の革鎧姿に着替え、出迎えの給仕係たちの間に混じっていた(もちろん涼子もいる)。だからこのふたり――いや三人の立っている場所(未来亭正面入り口)からでも、顔色を完ぺきに青くして、ふらふらとした足取りで勝美にうながされながら馬車を降りる七条彩乃{しちじょう あやの}の無残極まりない様子が、嫌というほどによく見て取れた。

 

「ほらぁ、乗り慣れんモンに乗るもんやけぇ、体うっかんがす(佐賀弁で『壊す』)ことになるんばい!」

 

 服装こそ定番の秘書スタイルであるが、ピクシー{小妖精}の勝美が手の平サイズの体格で背中の半透明アゲハチョウ型の羽根をパタパタさせながら、彩乃の右手を小さな両手でつかんで引っ張っていた。

 

 その光景は、慣れていない者が見れば、まさに仰天ものの現場であろう。

 

 実際にピクシーの体力は人間ひとりくらい、楽々と引きずり回す底力があると言われているのだから。

 

 ちなみに彩乃も、人間ではないけれど。

 

「彩乃ぉ、大丈夫?」

 

 すぐに由香を始め給仕係の仲間たちが、立つのもやっとの状態である彩乃を取り囲む。

 

 その細めである体を、総出で支えるために。

 

 ついでにこのとき、彩乃がわずかばかりであろうと思われる余力を振り絞ってか、断末魔のような絶叫を張り上げた。

 

「もう嫌ばぁーーい! わたし馬車なんち絶対乗らんばぁーーい! だけん、自分で空ば飛んだほうがええっ!」

 

「いったい彩乃ったら、どげんなったとかしら?」

 

 離れた位置から青ざめきっている彩乃の顔を見つめ、友美が首を右に傾げて不思議がっていた。

 

 これに孝治は、半分含み笑いの気持ちで応じてやった。

 

「あれは大したことなかっちゃよ♥ ただの乗り物酔いやけ♥」

 

「乗り物酔いけ?」

 

 友美の瞳が、さらに点の状態となっていた。孝治はこれにも、笑いたい気分を抑えながらで答えてやった。

 

「ああ、それはやね✍」

 

 孝治の説明は、次のようなもの。

 

 ふたつの都市と都市を結ぶ街道は、大抵が簡単に草を刈り、石ころを排除しただけで出来上がる、極めて安直なシロモノである。

 

 従って、本格的な整地をされているわけでは、まったくなし。

 

 当然、排除不可能な大岩などの障害物はそのまま。おまけに道の起伏が極端に激しいうえ、雨が降ればたちまち一面の泥だらけ。さらに風が吹けば、チリや埃が舞う有様なのだ。

 

 石畳で舗装をされている市内の道路とは異なり、そんな悪路をただでさえ振動の厳しい馬車で激走をすれば、いったいどのような事態となりうるのか――その限界を超えた乗り心地の悪さが嫌われ、街道では人足以下の歩みでしか進めない牛車を、主に使用する例がふつうである。

 

とにかく結果は、彩乃が見事に体現をしていた。

 

なによりも、毎日馬車を操っているはずの御者本人が、彩乃と変わらぬほどに青色吐息なのであるから。

 

なお、彩乃がなぜ黒崎店長や勝美と同伴をして、博多市から馬車で帰店をしたのかと言えば――孝治もあとで聞いた話なのだが――昨夜、自室の棺桶にて睡眠中であった彼女は、事件の発生で熊手から女子寮の外より各部屋に通じる伝声管で起こされ、ただちに博多市に宿泊している黒崎の元へと、伝令を頼まれたのだ。

 

コウモリへの変身が得意技で、なおかつ夜の活動に強いヴァンパイア{吸血鬼}としての特性を買われての任務であった――て、ゆーか、彩乃はヴァンパイアでありながら、平気で昼間に活動して、夜は寝ているのだけれど。

 

それはとにかく、帰りに横着を決め込み、ちゃっかりと馬車に便乗させてもらったのが、どうやら命取りとなったらしい。

 

自分の(コウモリの)翼による優雅な飛行と比べたら、振動馬車など、まさしく天国地獄であろう。

 

「ねえ、それやったらどげんして、店長は平気な顔ばしとったんやろっか? あれで一応ふつうの人間やっち思うとやけどぉ……まあ、勝美さんはピクシーやけ、あれはあれで平気なんやろうけどね✌」

 

 ここでふと湧いて出た友美からの新たなる疑問に、孝治は両腕を組んで考えた。

 

「それは……おれにもわからんっちゃねぇ? 人間とヴァンパイアの生命力の差ば考えたら、ふつうは逆っち思うっちゃけどぉ……☁」

 

 ところが考えている途中で、涼子が急に横ヤリを入れてくれた。

 

『ねえ、そげなことより、あたしん絵のことば、早よ店長に言うてよ♐』

 

「あっと、そうやった☀」

 

 けっきょく涼子から急かされる格好。孝治は慌てて、店内に先に入っている黒崎のあとを追った。


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