『剣遊記V』 第一章 怪盗暗躍。 (4) 「ところでやけどなぁ、井堀が女になったおまえの姿ば、見たいっち言いよったばい♥」
「うわっち! 井堀がぁ?」
ここで砂津の口から飛び出した『井堀』なる名前。それは孝治にとって、実に昔懐かしい名称――では決してない。懐かしいから良い思い出とは、絶対に限らない話である。
「ねえ、井堀さんって、誰ね?」
孝治の右横で話を聞いていた友美が、興味しんしんの顔をして、そっと声に出して尋ねてきた。しかし孝治は、眉間にシワを寄せる気持ち。嫌々気分丸出しな口調で答えてやった。
「……友美はまだ会{お}うたことなかっちゃけ知らんやろうけどねぇ……おれかてもう何年も会{お}うてなかばい☁ 一応昔同期やった野郎なんやけどね♠ ただ、荒生田先輩ほどやなかっちゃけど、よく似たスケベ男なんよねぇ☠ それがよう、衛兵隊に就職できたもんっちゃねぇ☢」
「荒生田先輩によう似た人ねぇ……✐」
話を聞いた友美がなんだか、納得をしたような顔付きになった。恐らく荒生田和志{あろうだ かずし}の名を出しただけで、大方の予測がついたのであろう。
なお、この場で名前が出てきた荒生田本人は、現在未来亭に不在中。理由は遥か北国、新潟県の沖に浮かぶ佐渡島に、金を掘りに行くと大言。後輩の魔術師牧山裕志{まきやま ひろし}と、前回島根県石見での銀山探索以来、未来亭の一員となった野伏の到津福麿{いとうづ ふくまろ}(その正体は銀色のドラゴン{竜})のふたりを無理矢理引き連れ、きょうより二日前に旅立ったばかりである。
「荒生田先輩って、いっつも宝探しばっか行きよっとやけど……店長からの仕事ば、ちゃんと請けたことっち……あったっちゃろっか?」
「おれが知っちょう限りでは……一回も無かったけね☠」
ある日のつまらない、友美と孝治の談である。
ところで本日孝治は、前述のとおりの無防備に近い甘い服装で、部屋から出てきたわけ。これも荒生田不在が成せる、安心感が理由だったのだ。
(それやのに本モンがおらんようなったら、今度はミニ先輩みたいなんがお出ましなんやけねぇ☠ まあ、本家よか多少マシやったら、ええとやけど……☁)
孝治は後悔と楽観の混じった、ある意味不思議な気分のため息を吐いた。そこへ砂津が、運命のセリフを言ってくれた。
「言い忘れとったけど、井堀やったらここにおるけね♐ おう! 井堀ぃ! こっち来い!」
「うわっち! もうおったとぉ!」
実際孝治は、なんの心の準備もなし。それなのに砂津が、勝手に話題の中心人物を呼び付けた。もちろん返事は、すぐに戻ってきた。
「なんすかぁ? 先輩ぃ」
そいつは速攻でやって来た。彼は事件現場の別の場所で、鑑識の手伝いをしていたのだ。
砂津がそいつを、右手で手招きした。
「おまえが会いたいっち言いよった、これが孝治やけね♡」
「や、やあ……ひさしぶり……☃」
砂津から紹介をされ、孝治は引きつった気分の笑顔を浮かべ、ついでに意味もなく右手を上げた。これに合わせてか、そいつが疑問符的に声をかけ、さらに孝治の顔を真正面から覗き込んだ。
「おまえ……孝治け?」
そいつは砂津と同じ衛兵の兜をかぶり、鎧も着ているが、顔は確かに孝治にとって、実に懐かしいモノだった。早い話が、昔とちっとも変っていない。
「ほぉ〜〜! ほんなこつ女に変わっとるんやねぇ♡ 面影は確かに鞘ヶ谷孝治なんやけどねぇ♡」
そいつからジロジロと、頭のてっぺんから足の爪先までを舐めるように見つめられ、孝治はだんだんと腹が立ってきた。
「ええ加減にしろっちゅうの! 井堀弘路{いぼり ひろみち}よぉ! 女性になったからっちゅうて、おれ自身はいっちょも変わっとらんのやけねぇ!」
ところが孝治に怒鳴られたぐらいで昔なじみのそいつ――井堀は、まったく態度を改めようとはしなかった。
「なるほど、声質も変わっちょるばい♡ こりゃ本モンやねぇ♐」
それどころか、孝治の左の胸に自分の右手人差し指をブスッと突き差し、ついでにシレッとした顔でほざく始末。
「うわっち!」
孝治の胸(おっぱい)に、ビビッと電撃が走った。
「うん♡ 入れモンはなんもなしの、純粋な脂肪の塊{かたまり}っちゃね♡」
「てめえーーっ!」
孝治は井堀の左顔面に、ガスッと右手の拳骨{げんこつ}を叩き込んでやった。
そんな孝治はもう、大声で泣き叫びたい気分。
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