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『剣遊記V』

第一章  怪盗暗躍。

     (1)

 未来亭の夜は遅い。

 

 港湾と貿易の町、北九州市随一の酒場なだけあって、最後の客が勘定を終えて店を出るころには、時刻は大抵、次の日となっている。

 

「どうも、お疲れ様ぁ〜〜☁」

 

 一枝由香{いちえだ ゆか}たち給仕係の女の子が、店内の後片付けを簡単に済ませ、全員女子寮へと戻る。このあと売上げ清算などの業務は、給仕長である熊手尚之{くまで なおゆき}氏の仕事となっている。

 

 ところが『長』の肩書きこそあるものの、この熊手なる人物。『威張らない。怒らない。命じない』の三拍子がそろった、真にもって典型的な昼行灯的逸材。

 

要するに上司としての自覚があるのかないのか。まったくもって、頭の中身は不明。

 

実際、給仕係たちの間でも、熊手を直属の上司として認識していない者が、多数存在している現状である。

 

 それはそれでとにかくとして、算盤を弾いた計算で、本日の売上げに間違いなしを確認。熊手は売上金すべてを、事務室の大型金庫に納めて封印した。

 

 魔術での結界封印が可能な、特別製の大型金庫である。

 

 それらがすべて終了してから、自分の私室に戻る日課となっていた。

 

 なお、未来亭店長である黒崎健二{くろさき けんじ}氏は、本日組合{ギルド}の会合に参加中。秘書である光明勝美{こうみょう かつみ}とともに、北九州市が所在する博多県の県都――博多市まで出向いており、今夜は当地にて宿泊。あすには帰店の予定であるが、未来亭の主人は現在、不在中というわけ。そのため、売上げ報告は、あしたの仕事。熊手は私室のベッドに身を横たえると、枕元に灯しているロウソクの火に口を寄せ、そっと息をかけて吹き消した。

 

 どんなに閉店が遅くとも、朝の始まりは必ずやってくる。しかも給仕長は給仕係たちよりも早起きをして、開店の段取りをつけておかなければならない。それがわかっていながら、なぜか今夜に限って、熊手の寝つきは悪かった。

 

 心配事など、なにもないはず(実際周囲からは、悩みのカケラもない人間と思われている)――なのに、妙に胸が騒いで、頭までが冴えてくる。

 

 火元の点検も完了済み。それでも、どうせ眠れないのなら再度の確認とばかり、熊手はベッドから起き上がり、手持ちの角燈{ランタン}にマッチで火を灯す。

 

 ついでに着替えが面倒なので、再点検は寝間着(親父のくせに、白地に青の水玉模様)のままで行なうようにした。


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