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『剣遊記\』

第四章 怒涛の海底探査行。

     (5)

 商人Aの頭は、もはや完全にヘベレケのご様子。その一方で、孝治自身は一滴も飲んでいないにも関わらず、気分は完ぺきに絶頂の領域。これをうしろから見ている涼子が、小声で友美にそっとささやいた。

 

『ねえ、あたしなんか、この先の不幸な展開が読めるような気がするっちゃけどぉ……☢』

 

 友美もこれに、うなずきで返した。

 

「わたしかてそう思うっちゃよ☢」

 

 そんなふたりの小言など、まったく意にも介さず。孝治は商人Aに話の続きを迫った。

 

「さあさあ! 早よ言っておくんなせえ! いっち番でえじな野郎って、いったい誰ね?」

 

「おうおう、慌てなさんなって⛐」

 

 ここで商人Aがもったいぶって、深呼吸などをひとつ。

 

「ええか! 人は見かけよりも中味がでえじってことよ! そいつの生き様を見りゃあ、オレはつくづくそう感じるねぇ〜〜☺」

 

「うんうん♡」

 

 確かにおれは見かけはカッコええし、心は優しかぁ〜〜――と、自己申告で孝治は勝手に思った。さらに商人Aの話は続いた。

 

「そいつは一種の、我々野郎どもの象徴だ☆ だからフーテンのようでいて、しっかりと芯が通ってやがるじぇ☘」

 

 なんとなくだが、孝治は嫌な予感がしてきた。

 

「あのぉ〜〜、もしかして……ですねぇ……☁」

 

 孝治は恐る恐る、商人Aに尋ねてみた。

 

「『そいつ』ってのはもしかして……黒いサングラス😎ば、かけてなんかいないでしょうねぇ……☠」

 

「おや? 姉ちゃんもそいつの名前を知ってんのかい?」

 

 嫌な予感が的中した。商人Aが続けた。

 

「そいつの名前は荒生田和志{あろうだ かずし}よ! 人はそいつを変態だと呼んでるらしいが、オレはそいつの生き様を尊敬してるねぇ〜〜⛐」

 

 両腕を組んで、商人Aが感慨深げにふむふむと語ってくれた。しかし孝治にとっては、大の大の大衝撃となった。

 

「そりゃなかっちゃろうもぉ! あんた……うわっちぃ!」

 

 たまらずに立ち上がったとたんだった。船がゆらりと揺れて、孝治は足をキュキュッとすべらせた。

 

「うわっちぃーーっ!」

 

 さらにそのまま手すりを乗り越え、見事最上甲板から海面に、ドッボオオオオオオオオオンンと落下。周囲の乗客たちが、一斉に騒ぎ出した。もちろん友美と涼子も大慌て。

 

「きゃあーーっ! 孝治が海に落ちたぁーーっ!」

 

『なして、あれっくらいのちっちゃか波で落ちるっちゃろうかねぇ?』

 

「千夏ちゃん! 早よ美奈子さんたちば呼んできてぇーーっ!」

 

「はいですうぅぅぅ☀」

 

 友美に言われて千夏も大急ぎで――と言うよりも、ほとんど楽しげな顔付き。パタパタとスキップを踏みながら、船室につながる階段を下りていった。けっこう器用。同時に大きな勘違いも忘れていなかった。

 

「孝治ちゃんてぇ、泳ぐの大好きさんだったんでしゅねぇ♡」

 

 そんな騒動の中、酒が完ぺきに回っている商人Aだけは、ひとりぶつぶつとつぶやき続けていた。

 

「なんでえ、なんでえ、慌てモンの姉ちゃんだなぁ⛐ 未来亭にはあとひとり、ヤローから美人に変わっちまった変なのもいるって、これから教えてやろうって思ってたのによう☻」

 

 ちなみに商人Bは、もはや行方不明。

 

 さらに騒ぐ乗客たちの中には、次のようなセリフをささやく者もいた。

 

「遣{や}れ遣{や}れ、仔{こ}の様な有り様では、先行き些{いささ}か懸念にてござる。各言う拙者も、心労物でござるのぉ……」


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