前のページへ     トップに戻る     次のページへ


『剣遊記U』

第一章  帰ってくる男。

     (7)

「こらぁトクぅーーっ! おめえ安モンの縄ば用意したとやろうがぁーーっ♨」

 

「あっ、す、すまんこってすぅーーっ☂」

 

 こんな事態になっても徳力に頭を下げさせてばかりいる清美の前で、兜猪の全身が、みるみると巨大化。体中に赤茶色の獣毛が、ぞわぞわと密生を開始した。

 

「うわっち! こいつライカンスロープ{獣人}やったとねぇーーっ! こげなん、砦の衛兵さんたち、いっちょも教えてくれんかったばぁーーいっ!」

 

 孝治は速攻で、兜猪の正体を、声を大にして叫んだ。

 

「これって帰ったら、山賊退治の料金、割り増しせないけんばいねぇ☆」

 

 友美も孝治の右腕に、全身でしがみついてきた。この間に兜猪の姿は、完全に獰猛なる羆{ヒグマ}と化していた。これを怖いもの知らずで珍しもの好きな涼子が、間近まで寄って見物していた。

 

『ふぅ〜ん、このおじさん、ワーベア{熊人間}やったんやねぇ♦ まあ、熊に変身してもアイパッチ付けたまんまっちゅうのが、えろう笑っちゃうとこなんやけどね✎♥』

 

 このような無謀な振る舞いは、幽霊だからこそ可能な特技であろう。一般人(?)には、とても真似ができない無茶ぶりである。

 

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 その羆が、いかにも凶暴そうな雄叫びを上げ、自分の眼前にいる清美と徳力に襲いかかった。熊のダッシュ力は、人間などを遥かに凌駕するレベルなのだ。

 

しかも羆とふたりの間には、兜猪の子分たちが縄で縛られて地面に座り込んでいる――のだが、もはや彼の眼中には入っていないようだ。

 

「ひえっ! 親分待ってぇ!」

 

「あっしらがここにいますばぁーーい!」

 

 縛られている子分たちが大慌てで左右に分かれ、羆に道を開いてやった。体を縛られていても、まだもがきとのた打ちのできる状態だったのが、このとき大きな幸いとなったみたいだ。しかし羆のほうは、頭の中がすでに、自分を陥れた戦士どもをぶち殺す妄執しかないらしかった。

 

「ぐがあああああああああああああああっ!」

 

 ところが危険が間近に迫っているというのに、その真正面に立つ清美は、その場から逃げようとはしなかった。それどころかまっすぐに、羆をギロリとにらみつけていた。

 

 まさに鉄をも突き通すような、鋭い目線でもって。

 

 それから足元にちょうど転がっていた人の拳{こぶし}大の石を右手で拾い上げ、大きく振りかぶると剛腕で、ビュンと前に向かって投げ飛ばした。

 

ぬいぐるみのゆるキャラんくせに、せからしかぞぉ!」

 

 狙いは端から見ても、羆の顔面。ド真ん中の剛速球。ビューーンと風を斬るような快速音を発し、石が見事、羆の眉間にドガツンッと命中!

 

「ぐげぼぉっ!」

 

にごった悲鳴と頭がい骨のへしゃげるにぶい音が同時に響き、羆がドドッと、仰向けにぶっ倒れた。

 

 周辺にズズーンと、大きな地響きと土煙を振りまいて。

 

「や、やりましたね、姐さん♡」

 

 ようやくで危機一髪の事態が回避され、近くにある大木の陰から徳力が、恐る恐るで顔を出す。こいつはどうやら、姐御{あねご}――もとい相棒の清美を置いて、自分だけでさっさと木の陰に隠れていたようだ。

 

 けっこうズルい性格である。

 

 清美がそんな徳力を、これまた鋭い目線でギロリとにらんだ。それから声音にも迫力――というかドスを効かせて言った。

 

「トクぅ……きょうのことは当分忘れんけんねぇ☠」

 

「は……はい……😅

 

 ドワーフの戦士が色黒な顔を、みるみると青ざめさせていった。

 

「駄目っちゃねぇ、これやったら☠ これで徳さん、ますます清美んやつに頭が上がらんようになるっちゃけ☃)

 

 孝治は年上である徳力を、きちんと『さん』付けで呼んでいた(まあ、半分愛称的ではあるけど☺)。それは置いて、このふたり(清美と徳力)の漫才を眺めてつぶやきながら、孝治は倒れている羆のそばに、及び腰承知で近づいてみた。そこでピクリとも動かない様子を確認。さらに生死を見極めるため、心臓の位置に左の耳を当ててみた。

 

「ん……生きちょる☀」

 

 まさに命に別状なしと言わんばかり。力強い鼓動の音が響いていた。

 

「良かったぁ〜〜♡ こいつがくたばっちまったら、山賊退治の仕事料ば、半額にされるとこやったけねぇ✌」

 

「見てん! 熊が元に戻るっちゃよ☞」

 

 そんな孝治の心配を、完全に打ち消してくれるかのようだった。友美が左手で、倒れている羆を指差した。見れば孝治と友美の見ている前で、羆が元の兜猪の姿へと還元されていった。

 

「うわっち!」

 

「きゃっ! やだぁ!」

 

 これにて吐き気をもよおす事態は必然の流れ。誰もが絶対に見たくない中年親父のすっぽんぽん姿が、孝治と友美の前に、否応なしで現出した。

 

 孝治はまだ(中身が)男であるから、このおぞましい状況に耐えられる気構えがあった。だけどこれに免疫がない友美は悲鳴を上げ、両手で顔を覆い隠していた。

 

 ところが涼子はといえば、わざわざ倒れている兜猪の露出されている股間を興味深げに覗いて、とんでもないセリフをぬかしてくれた。

 

『このおじさん、けっこう可愛いのば付けとるっちゃねぇ☆ えへっ♡』

 

 孝治は言ってやった。

 

「おまえはどこで、そげなんに見慣れたとや♐」


前のページへ     トップに戻る     次のページへ


(C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system