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『剣遊記U』

第一章  帰ってくる男。

     (6)

「孝治っ! なんばしよっとや! もう帰るばい!」

 

 少女の幽霊が、実は仲間に入っているなどとは、恐らく夢にも思わないであろう。清美が大きな声を上げ、どうやらグズグズしているよう見えている孝治を呼んだ。そのついで、やっぱりというべきか、よけいなひと言も忘れていなかった。

 

「しっかしまあ、初めて見たときからなんべんも言いようばってん、ほんなこつよう似合{にお}うとうばい、孝治のそん格好はよぉ☻♥」

 

「うわっち! ま……まあね……☠」

 

 再び眉間を引きつらせながらも――だった。孝治は精いっぱいの努力でこれを苦笑に留め、清美に見せかけの同意である相槌を打ってやった。代わりに内心は、ムチャクチャに複雑となっていた。

 

(おれ……ひと月前まで男やったっちゅうとに、あの変な薬ば飲まされて性転換せんかったら、こげなアホなこつ言われんで済んだっちゅうとにねぇ……☠)

 

 孝治の頭に今さらながら、過去の超不幸な出来事が浮かび上がった。同時に孝治をからかっているようでいて、実は清美の瞳には羨望と嫉妬の炎がメラメラと生じている様子にも、初めから薄々と感づいていた。

 

 だけど清美からのツッコミは、現時点では幸いにも、ここでいったん終了した。目先を孝治から自分の相棒である徳力に変え、男勝りの大声で怒鳴り散らかし始めたからだ。

 

「おらぁーーっ! トクぅーーっ! 山賊どもば全員ふん縛{じば}ったんけぇーーっ! ばたぐるっとる場合やなかぞぉ!」

 

 ここで誤解なきように記しておけば、清美は産まれたときからの、正真正銘の女性である。決して孝治と同じ、性転換の憂き目に遭ったわけではないので、念のため。

 

「あっ、はいはい! 今やっちょりますばい、はい!」

 

 清美から『トク』と略称で呼ばれた徳力が、大急ぎで山賊どもを縛って回る。この様子を見てもわかるとおり、ドワーフ{大地の妖精族}出身の戦士である徳力は、清美の完全なる子分。とても対等のパートナーといえる間柄ではなかった。

 

「お、おれも手伝うっちゃよ☁」

 

 孝治も清美からアゴでこき使われる徳力を不憫に思い、いっしょになって、兜猪を縄で縛る手助けをしてやった。するとこの山賊首領が、急に不敵な笑いをおっ始{ぱじ}めた。

 

「ふっ、ふふふ、ひはまらほれで、はったふもりね♥」

 

 いったいなにを言っているのやら、本当にわからなかった。しかし、いきなり意味もなく悪びれだす。世間ではこのような振る舞いを、往生際が悪い――と称している。

 

当然の話ながら、孝治と徳力は、兜猪を無視。ひたすら山賊縛りだけに専念した。無論兜猪のほうとしては、このような扱われ方は、メチャクチャに腹が立つだろう。

 

「ひ、ひはまらぁーーっ! ふぃとの話ばひはんかぁーーっ!」

 

「しゃあしぃーって♨」

 

 孝治は兜猪の精いっぱいであろう怒声を、軽く鼻であしらってやった。もちろんでもあるが、山賊団の首領ともあろう男が、これで引き下がるはずなどないであろう。

 

「へーーい! はまっへおれば、ほのわひをほんに舐めおっへからにぃーーっ!」

 

 それでも孝治は、冷めた気分の瞳で、兜猪を見下すだけ。

 

「いっちょも黙ってなかろうも♐」

 

首領がなにを言っているのか、だいたいわかるようにはなってきたが、内心はほとんどシラけていた。

 

「おっさんの悪あがきなんち、ほんなこつすっごう見苦しかぁ〜〜やけねぇ☠」

 

「はまれぇ! わひの正体ば見せてくれるわぁーーっ!」

 

 さらに『見苦しい』の上塗りというべきか。それともこれこそ、本当に最後の悪あがきなのだろうか。縛られたままでわめくだけわめくと、兜猪がまるで全身の筋肉を膨張させるかのようにして、自分の体を縛っている縄を、ブチブチと引きちぎり始めたのだ。


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