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『剣遊記U』

第一章  帰ってくる男。

     (12)

「……おれも、そげんする♠♣」

 

 友美からうながされた格好で、孝治はまだ痛む頭を右手で押さえながら、しゃがんだ姿勢からよっこらしょっと立ち上がった――と、そのとき突然だった。孝治の記憶に存在する何者かが、急にポッと、頭の中に浮かび上がった。

 

「うわっち? 待つっちゃよ? 裕志といえば……確かおまけがくっ付いとったような……?」

 

 孝治の頭にまず浮かんだ情景は、由香の恋人――裕志の頼りなさそうな魔術師姿(ネタバレ)と――もうひとり。なぜか黒いサングラス

 

「うわっちぃーーっ!」

 

 ここで孝治は、大きく絶叫した。それも友美と涼子が、そろって瞳を丸くするほどの大声で。

 

 店内の給仕係一同も、同じ有様の顔となっていた。

 

「ど、どげんしたと! いきなり大きな声ば出してくさぁ!」

 

『もう! こっちは心臓ドキドキばい!』

 

 驚き顔の友美が、慌てた口調で孝治に理由を訊いた。涼子のボケには、ふたりとも突っ込む余裕がなかった。

 

とにかく孝治は、今は質問に答えるどころではない心境の渦中にいた。それでも孝治は叫んだ。

 

「と、友美ぃ! それに涼子も! 今すぐ旅の準備するっちゃよぉ!」

 

 この孝治の叫びは、友美と涼子にとって、まさに青天の霹靂{せいてんのへきれき}だったよう。ふたりともそろって、同じ不平不満の声を上げてくれた。

 

「ええーーっ! 今帰ったばっかしやのにぃ♨」

 

『そうたい! 幽霊かて休みは必要なんやけねぇ♨』

 

 このような反抗的状態にも関わらず、孝治はまさに真剣だった。

 

「休みなんか、いつでんよか! 少なくとも裕志といっしょに戻ってくる『あれ』がおる間は、おれはこの未来亭におらんほうがええとやけ! 『あれ』はたぶん、おれが女になったっちゅうこつ、まだ知らんはずやけね!」

 

「孝治が女ん子になったことば、まだ知らんって……ああ、わかったぁ!」

 

 さすがは友美であった。孝治大慌ての理由が、早くも理解できた顔となる。やはり勘の鋭さは、三人(孝治、友美、涼子)の中でピカ一であろう。

 

「まあ、それなら仕方なかっちゃね☀ 早よう次の仕事ば、店長からもらわんといけんねぇ♐」

 

 しかし涼子だけは、まだなにもわかっていない様子でいた。

 

『ねえ、『あれ』ってなんねぇ? これからいったい、なんがあるって言うと? あたしなんだか、すっごう歯痒{はがゆ}うなっとうとやけどねぇ☠』

 

「ま、まあ、涼子は根本から知らんけねぇ☁」

 

 こればかりは涼子の蚊帳の外状態も、しょんなかばい――と思いつつ、今の孝治にはやはり、丁寧に説明をしてやる余裕はまったくなかった。

 

「せ、説明はほんなこつあとでするけ! それよか店長が帰ったら、すぐ仕事ば請けるけね! よかや!」

 

「ええ、よかっちゃよ♥」

 

 涼子はともかく、友美は孝治にうなずいてくれた。

 

 今や完全に狼狽の極致となっている孝治。すぐに事情を察知してくれた友美。再びひとり蚊帳の外状態の涼子。

 

 三者三様のドタバタ劇は、このあと夕方まで続くこととなった。


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