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『剣遊記U』

第一章  帰ってくる男。

     (11)

『ねえ、孝治が言いよう『あいつ』って、いったいなんね? 友美ちゃんは『ひろしくん』っち、言いよんやけどぉ……

 

 ひとり蚊帳の外状態になっている涼子が、少々腹立ち気味の感じで、孝治に訊いた。これに孝治は、なんとなくの優越感をくすぐられたような気持ちになって、答えてやった。

 

「ああ、涼子が知らんっちゅうのも無理なかっちゃね☆ あいつっちゅうのは、おれと同期なんやけど友美とおんなじ魔術師ばしようやつで、名前は牧山裕志{まきやま ひろし}っちゅうとやけど、なにしろそいつが宝探しの旅に出たんが五箇月も前の話やけ、涼子の絵が未来亭に来るより、ずっと前の話になるっちゃよ★」

 

 孝治の言う『涼子の絵』とは、彼女が生前に貴族令嬢だったころの姿が描かれている肖像画であり、現在は未来亭の中央階段踊り場に飾られている。涼子はこの絵に取り憑いたまま、競売で新しい所有者となった未来亭に現われ、そのまま住み着いちゃったわけである。

 

『ふぅ〜ん☁ で、その『まきやまひろし』って人、どげな魔術師なの?』

 

 さらに続く涼子の問いにも、孝治は余裕の気分で回答してやった。

 

「確かに友美や美奈子さんとおんなじ魔術師の道ば歩みよんやけど、おれに言わせたらどげん贔屓目に見たかて、ふたりよか実力は、そーとー下んほうっち思うっちゃねぇ☆☻」

 

 すると、次の瞬間だった。

 

「うわっち!」

 

 由香がフライパンで、孝治の後頭部をバコォーンッと、激しく殴打してくれた。

 

「うわっち! うわっち!」

 

「裕志さんば悪う言うのはやめちゃってや! 裕志さんは一流の魔術師の家柄なんやけぇ♨」

 

 ふだんの由香からは想像もできないような、強烈な怒りの表し方だった。それでもなお、胸の憤慨が収まらないらしい。ドカドカと足音もけたたましく、そのまま店の厨房へと駆け込んでいった。

 

「痛ちちちちちちちちっ!」

 

 孝治は頭を両手で押さえて、この場でしゃがみ込んだ。そこへ友美が、慌てて駆け寄ってくれた。もちろん小言も忘れない。

 

「今のは孝治が悪かっちゃよ☂ 由香ん前で裕志くんの悪口ば言うもんやけ☠」

 

 『治癒』の魔術で孝治を癒{いや}しながらも、友美の言葉は辛辣そのものだった。

 

「やけんって、なんも鉄のフライパンでしばくことなかろうも☠」

 

 孝治は魔術でも癒えない痛みにうめきつつ、酒場の床に、今も転がっているフライパンに瞳を向けた。

 

 鉄製のフライパンは見事にひん曲がって、直角のかたちとなっていた。

 

 このところ孝治は、よく殴られてばかりの日々である。

 

 とにかくこれにて、座が少々のシラけ気味。周りにいた給仕係たちが、それぞれの持ち場へ、ポツリポツリと戻り始めていた。

 

「さっ、仕事、仕事☁☁」

 

 孝治に一番近い所にあるテーブルを、七条彩乃{しちじょう あやの}がわざとらしく布巾で拭き始める。このパフォーマンスには、これ以上痛い目に遭わんうちに、早よ部屋に帰ったほうがよかばい☢――の意味があることを、さすがの(鈍感の意味で)孝治も敏感に感じ取った。

 

「そ、そうっちゃね……☁」

 

「さっ、わたしたちも部屋に戻って着替えるっちゃよ☀」

 

 無論友美も、彩乃からの信号に、いち早く気づいていた。


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