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『剣遊記U』

第一章  帰ってくる男。

     (1)

 人の気配がまったく感じられない深山の小道を、ひとりの娘が歩いていた。

 

 道の両側には天空を覆い隠すほどの樹木が生い茂り、その周囲はまるで、夕方のごとく薄暗かった。現時刻は、まだ昼間だというのに。

 

 加えて、ときどき鳴り響く鳥や獣{けもの}の叫び声が、森の不気味さを、いっそう強く際立たせていた。そのためなのか、娘は右手に松明{たいまつ}を握り、赤々と火が灯されていた。それほどに暗い山道なのだ。

 

 これはもはや、無謀な行ない――と言えるかもしれなかった。なぜなら女性がひとりで深山の奥を彷徨{ほうこう}するなど、まさに危険的状況の極みであるからだ。それも、山道の往来には不似合いかつ不適当な、白いドレス風の服装をして(ただし、履いている靴は野良仕事用)。

 

 そうなると無論の展開。定石{じょうせき}どおりの連中が現われた。

 

「へ、へ、へぇ〜〜っ♡ お嬢さぁ〜〜ん、野道のひとり歩きは危なかですよぉ〜〜♪」

 

「けけけっ♡ なんならオレたちが安全でおっとろしいないとこに、ご案内差し上げますばぁ〜〜い♡」

 

「そうそう、わしらの隠れ家になぁ〜〜♫♬」

 

 下卑{げび}た笑い声で、顔面濃いヒゲと全身垢{あか}だらけである体臭のきついヤローどもが(本人たちは嗅覚麻痺で気がつかない⛔)、およそ三十人。森の暗がりの奥から、ぞろぞろと湧いて出た。

 

 着ている物はそれぞれ、動物の毛皮や錆びついた鎧など。一般の社会では、およそ目にすることがないシロモノばかり。いかにもわしらは世間様からのつま弾き者――を、見事に体現していた。

 

 そう、彼らは山賊である。早い話、山賊が山道を通る獲物を、虎視眈々{こしたんたん}と待ち構えていたわけだ。

 

「わしらもこの辺りじゃ、ずいぶん有名になったもんじゃけんのぉ♪ こん山に女が来るなんち、もうないっち思うとったんじゃが、まだまだ極上な女がいたもんじゃて♥」

 

 上半身は鹿の毛皮の出で立ちに、これで目立ちたいつもりでいるらしい。黒ヒゲをアゴから長く垂らした山賊が、しゃぶるような目線で、娘の頭から足のつま先までを、じっくりジロジロと舐め回した。

 

「ほんなこてなあ♡」

 

 これに同意をしているようで、頭をうんうんとうなずかせている周りのヤローどもも、ほぼ完全なる同類。中には早くも涎{よだれ}を垂れ流す、だらしの無い輩{やから}も何人かいた。

 

 ただし、このとき山賊どもの目が節穴でなかったならば、娘の表情に怯えの色がまったく見当たらないことに、あるいは気がついたかもしれなかった。それどころか、初めて山賊と遭遇したときから、悲鳴のひとつも上げていないのだ。

 

 その代わりでもないだろうけど、娘は大胆にも、自ら山賊どもに問いかける度胸までも、見事な態度で示していた。

 

「ねえ、ひとつ訊いてもよかっちゃね☆」

 

「ん? な、なんじゃ?」

 

 黒ヒゲの山賊が、いきなり困惑したような感じの目線で、娘をギロリとにらんだ。恐らくこいつの頭の中では娘を真っ裸にひん剥き、白い柔らかな肌にむしゃぶりつきたい欲望でいっぱいなのだろう。それが逆に質問を返され、対応に困る感じとなっていた。

 

 人間とは、予想もできなかった意外な話の展開に、非常に弱いものなのだ。

 

 反対に娘はお気楽というか、見ようによっては能天気みたいな態度を、山賊相手に堂々と見せつけた。

 

「あんたら、あれやろ☆ こん英彦山一帯ば縄張りにしちょる山賊団でぇ……名前はなんち言うたっけぇ……?」

 

 娘の言う英彦山とは、九州の博多県大分県の境に位置をする、山岳地帯の総称である。

 

「わしらけぇ?」

 

 地理の説明はさて置き、やはり質問をされるなど、まったく夢にも考えていなかったらしい。まあ当たり前ではあるが、黒ヒゲが両目を満月のように丸くした。そこへ回答不能に陥{おちい}った黒ヒゲを、うしろから「どけっ!」とばかりに右手で押しのけ、さらに図体のデカい男がしゃしゃり出た。

 

「わしが答えちゃるわぁ! わしらはのぉ、この英彦山の支配者、泣く子も黙るっち言う『兜猪{かぶといの}一家』っちゅうんじゃあ! そしてなにを隠そう、このわしこそが、首領の兜猪様じゃあーーっ! ぬわぁーーっはっはっはっはっ♡♡♡」

 

 誰も呼んでいないのに、クソデカい態度の首領とやらは、頭はハゲて左目に黒い眼帯――アイパッチをかけた男。服装は名前のとおりか、上半身に、どうやらイノシシ🐗らしい毛皮の服を着ていた。イノシシの毛皮など、本来は衣服に加工するには向かないものだが。

 

とにかくこの馬鹿丸出しな格好を見て、娘は声に出さないよう、心中だけでつぶやいた。

 

(泣く子も笑うの間違いやろうも⛑ それにアイパッチっちゅうのはふつう、海賊がカッコ付けでやるもんやけどねぇ☠)

 

 それでも本心は隠し通して、娘は質問を続行した。

 

「ふぅ〜ん、で、あんたやけど、兜猪さんって、強かと?」

 

「な、なんじゃとぉーーっ!」

 

 小娘からこげなたわけたこと言われたんは初めてじゃ――とばかり、山賊の首領が頭のてっぺんから激しく湯気――いや、蒸気を立ち昇らせた。恐らくは血圧も、一気に急上昇したに違いない。

 

「な、なん馬鹿んこつ言いよんじゃあーーっ! よぉっく聞いて驚けよぉ! わしは日本🗾でいっちゃん強い山賊の大親分なんじゃけんのぉ! じゃけんわしに勝てるやつなんぞ、この世にひとりもおらんのじゃあーーっ!」

 

「うんうん、一応わかったけ♦」

 

「なんがわかったっちゅうとやぁーーっ!」

 

 娘の、まるで人を小馬鹿にするような変なうなずき方を見た兜猪の高血圧が、さらに悪化を重ねたようだ。しかし娘も、これにシレッとした感じのまま、調子に乗っているような質問を連発した。

 

「まあまあ、そげん怒らんとき☀ 山賊ん中でいっちゃん強かってのが、ようわかったっちゃけ☻ で、ついでに訊くとやけど、これが海賊相手やったら、どげんなるっちゅうとやろっか?」

 

 やけに海賊にこだわる娘であった。これに兜猪はすなおに小首を傾げ、血圧を少々下げた感じで答えてくれた。

 

「海賊けぇ……わしゃあ海賊だけは、ちと苦手やけんのぉ〜〜☠」

 

「うわっち? なしてねぇ?」

 

 娘は自分の頭の上に、ポッと『?』マークが浮かぶような気持ちになった。すると今度は兜猪のほうが、苦虫を五十匹分、噛み潰したような顔付きとなった。

 

「はがいーけんどぉ、わしゃあ泳げんけんのぉ〜〜☠ じゃけん山賊をやっとんのじゃあ〜〜っ☠」

 

「あ、あんねぇ……☁」

 

 情けない理由を自信たっぷりで答える山賊首領の勇姿を見て、娘は声には出さないものの、ひとつの結論を認識した。

 

(うんうん、だいたいわかったばい……こいつら馬鹿っちゃねけ☀)

 

 続いて三十人近くの山賊どもから囲まれている中だった。娘はいきなり上に顔を向け、大きな声を張り上げた。

 

「おーーい! やっぱこいつらがお尋ねモンの『兜猪一家』に間違いなかっちゃけぇーーっ!」


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