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『剣遊記U』

第二章 帰ってきた男。

     (9)

「裕志ぃーーっ! 早よ開けにゃドアばぶっ壊すけねぇーーっ♨」

 

「は、は、はい! 今開けますです、はい!」

 

 これ以上待たせたら、本当にドアをぶっ壊されかねない。裕志は大急ぎでドアをバタンと開け、完全にジレまくっている荒生田を、引きつり笑顔で室内へと招き入れた。

 

「は、はい! どんぞ!」

 

「ずいぶんと先輩ば待たせてくれたっちゃねぇ♨ ん、鼻血け?」

 

 こちらはこちらで、憤慨している様子が、丸わかりな顔の荒生田であった。だけど裕志の少し変わっている様子にも、すぐに気がついてくれた。それは両方の鼻の穴に、ちり紙が詰め込まれたままであったから。はっきり言って、誰でもわかる。

 

「そ、そうなんです! ちょびっとすべって転んじゃったもんですけ……ははっ☃」

 

 我ながら苦しい弁解だと、裕志は内心で冷や汗😅たらたらの思い。だけど幸か不幸か。荒生田は後輩の鼻血程度に気づかいするような、慈悲深い男ではない。

 

「鼻血くれえ、逆立ちでもしとったら勝手に治るばい! それよか、この部屋におまえ以外の誰かおったとや?」

 

「い、いえ! 滅相もなかです! ぼくひとりだけですっちゃよ!」

 

 さすがは荒生田先輩、こげな直感だけは異常に鋭いっちゃねぇ――と、裕志はあせり丸出しで、頭をブルンブルンと横に振った。

 

「そ、それより先輩、孝治といっしょやなかったとですか?」

 

 これ以上追及されると、それこそ自分と由香の立場がヤバくなる。そこで裕志は、話の方向を転換。幸いにも単純な荒生田は、簡単に話を切り替えてくれた。

 

「孝治の野郎、逃げちまったばい☠ せっかくオレが性転換祝いに酒ばおごって、そのあとでいいとこに連れてってやろうっち思いよったのによぉ♨」

 

 酒で酔わせて、それから押し倒すつもりやったっちゃね――と、長年の付き合いで、裕志は先輩の腹を見抜いていた。

 

 孝治にとっては、まさに危機一髪の局面であったろう。だがおかげで、自分に向かっていた先輩の矛先が、なんとか回避できたようである。

 

「なん、ほっとしたっちゅうような顔ばしとっとや? オレの親切が無になったっちゅうのが、そげんうれしいとか♨」

 

 荒生田のサングラスの奥で、けっこう有名な三白眼が、キラリと光った。裕志はまたしても、慌てて頭を左右に振った。

 

「そ、そげなこつ、なかっちゃです! 孝治にはぼくがあとでよう言うておきますけ☞ それより今ごろんなって、いったいなんの用なんですか?」

 

「あっ、そうやった♪ それはやなぁ☆」

 

 ここで裕志から逆に尋ねられ、荒生田が後輩の部屋に押しかけた理由を、今になって思い出した様子。

 

このサングラス男は、忘れっぽい性格でも有名なのだ。すぐに室内をぐるっと見回し、荒生田が裕志に尋ねた。

 

「オレたちが明日香ん遺跡から持って帰った古い古銭、あれ、どこやったとや?」

 

「ああ、それならですねぇ☆」

 

 裕志がポンと、両手を打った。

 

「ぼくが店長に預けて、店の金庫に保管ばしてもらっちょります⛨ あした鑑定ばしてくれるよう、これもぼくが店長に頼んでおきましたけ☀」

 

 裕志としては、簡単に行程を説明しただけ――のつもりだった。ところがこれが、大きな災難の幕開けとなったわけ。

 

「ぬわぁにぃーーっ!」

 

 とたんに荒生田が、裕志に飛びかかった。さらにそのまま、右の小脇で裕志の体をかかえるようにして首を絞め、左手で頭をポカポカと殴りまくり。

 

「そげな大事なこと、オレに黙って後輩が勝手に決めんじゃなかぁーーっ! 鑑定は今からやる! オレが始めるっちゅうたら始まるんじゃい! わかったけぇ! このスカンタコぉ!」

 

「痛たたたたたっ! わかった、わっかりましたぁ!」

 

 首を絞められて酸欠になったうえ、拳骨の連発まで喰らっては、裕志もたまらない。ここは呆気なく、荒生田に降参。いつものパターンらしいけど。

 

「……やけどぉ……もう夜中やのに、店長が鑑定してくれますかねぇ……☁」

 

 現実問題としてそこが不安げな裕志に、荒生田が耳を傾けるはずもなし。

 

「安心せえ! オレと店長の仲やけね、オレが誠意ば持って頼めば、店長はこころようなんでも聞いてくれるっちゃけ♡  それよかおめえ、こげな夜中に掃除しとったにしちゃあ、部屋ん中あんまし綺麗になっとらんばい⛇ だいいちバケツん中の水が、ちっとも汚れとらんみたいやけ♐」

 

 裕志を屈服させた荒生田が、改めて室内を見回した、そこで目ざとく、水の入った木製のバケツに気がついたりする。

 

「ぎくっ!」

 

 裕志の心臓が、ドキッと高鳴った。声にも出るほどに。それに構わず、早速本能が命ずるままなのか、荒生田がバケツの取っ手を、ヒョイと右手でつかんで持ち上げた。

 

「ああっ! それはぁ!」

 

 それは水やのうて由香なんですぅーーっ! ――と、裕志が叫ぶ間もなかった。

 

「なんやっちゅうとや? どうせ中途半端なんやけ、掃除なんかやめっしまえ!」

 

 荒生田が閉まっていた窓を左手でガラッと開け、バケツの水(実は由香)を三階から勢いよく、バッシャアアアアアアアアアアンンと下の中庭へとぶち撒けた。

 

「わあああああっ!」

 

「大袈裟に騒ぐんやなか! 中庭には誰もおらんかったけ、安心せえ!」

 

 裕志が絶叫した理由など、わかるはずもなし。荒生田は空になったバケツを無造作にぽいっと、部屋の床に投げ捨てた。それから後輩魔術師の黒衣のうしろ襟首をガシッと右手でつかんで、強引に部屋から廊下へと引きずり出す。

 

 裕志とて、ウンディーネが不死身であることなど、先刻熟知済みでいた。たとえ体がバラバラに飛び散っても、時間が経てば元どおりに復元できる――とは言え、ひどい目に遭わされたことに変わりはなかった。

 

(由香、ご、ごめぇーーん! あとできっと謝るけねぇーーっ!😭

 

 荒生田から引っ張られ、店長の部屋へと全強制的に連れて行かされながら、裕志は声に出せない声で叫び続けた。


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