『剣遊記U』 第二章 帰ってきた男。 (8) いつの時代、どこの世界においても、恋人同士のふれあいを邪魔する大馬鹿者は存在するもの。
「わわあっ! 先輩やあーーっ!」
「もう帰ってきたとぉ!」
あと少しのところを大慌てで飛び離れ、裕志と由香がせまい部屋の中、バタバタと隠れる所を探し回った。
なにしろ、ドアの外にいる男は荒生田。その性質と性格を知りすぎているばかりに、ふたりだけでいる現場をもろに見られたら、いったいどのような災厄をこうむる結果となろうことやら。
まったくわかったものではない。
「くおらぁーーっ! 先輩様がお帰りなんやけ、さっさとここば開けんかぁーーっ♨」
ドアの向こう側から、荒生田がドンドンと叩いたり蹴ったりしているらしい音が、激しく室内に轟き渡る。
「ちょ、ちょっと待ってくださぁーーい! 今、部屋ん中ば、掃除してますんでぇーーっ!」
裕志はとっさに言い訳をしたが、この苦しいごまかしが、果たしていつまで通用するものやら。窓から脱出しようにも、ここは三階。
「あ〜〜ん! どげんしよぉ☠」
まさに進退窮まった由香の瞳に、このとき部屋の隅に置いてある、木製のバケツがビビッと写る。
すぐに由香は、自分の得意技にもピンときた。
「あたし、あのバケツに入っとくけ!」
「ええっ! マジぃ?」
初めは由香の言ったセリフの意味が理解できず、裕志は目玉をパチクリさせるばかりでいた。しかし、由香の決断は早かった。
「あたし、ウンディーネ{水の精霊}やけ、ただの水の振りばしとったら、絶対誰にもわからんっち思うっちゃよ!」
「あっ……そ、そうやった……☁」
裕志も今になって、恋人の素情を思い出す。未来亭で知らぬ者はいないが、給仕係のリーダーを務める由香は、水の精霊族――ウンディーネの出身なのだ。だからこそ水を使った魔術が得意技であり、彼女自身の体が、水そのものなのでもある。
ちなみに、以前披露したことのある、手の先からの水シャワー攻撃も、ウンディーネの得意技✌のひとつなのだ。
「そ、それはぁ……そうっちゃけどぉ……って! こ、ここで、そげなぁ!」
思わずためらいの素振りを見せる裕志の眼前で、由香が大胆にも、着ている未来亭給仕係の制服を、パッパパッパと脱ぎ始めた。
それこそこちらは、ためらう素振りなどカケラもなし。最後の一枚であるパンティーまでも、思いっきりに気前良く(?)、裕志の前で脱ぎ捨ててしまう。
「うぷっ!」
たまらず噴き出しそうになる鼻血を、裕志は大慌てとなって、ちり紙でなんとか抑えようとした。この間にも由香は、着ていた服を全部脱いだ真っ裸の格好で、バケツに右足を入れていた。
まさしく全裸の由香の姿を網膜に焼き付けてしまい、裕志は血圧が急上昇するような思いになった。
その裸の由香が言った。大事な二箇所(?)をしっかりと、右手と左手で隠すようにしながらで。
「あたしん服、早よベッドん下に隠して!」
「は、はい!」
すでに思考力も半分以上を失っている感じ。言われるがままの裕志が、ベッドの下に由香の制服その他を、大急ぎで押し込める。これと同じ間に由香は、一糸もまとわぬその姿を、みるみると透明な水に変えていた。
由香の肌色(日本人基準)がしだいに色を失い、半透明化。それからかたちも溶けるようにして、バケツの中へとしぼんでいく。
時間にしてわずか、三十秒ほどの出来事――変身であった。
バケツの中にふつうの水が貯{たくわ}えられている。一見してごくありふれている、そのような状態に。 (C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |