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『剣遊記U』

第二章 帰ってきた男。

     (6)

 孝治と荒生田の追い駆けっこは、ついに街中にまで及んだ。だが黒崎の(ある意味冷たい)英断で、ふたりはほっとかれる始末となった。

 

「走るのに飽きたら帰ってくるがや」

 

 このあと、先輩である荒生田を心配しながらも、裕志は未来亭で間借りをして暮している自分の部屋に戻り、ひさしぶりとなるひとりの時間を満喫していた。

 

「ざっと五箇月ぶりなんよねぇ……ずっと先輩といっしょにおったけ、こん部屋に帰るのなんち、なんか何十年ぶりにも感じるっちゃねぇ☀」

 

 あの荒生田と、何箇月行動をともにしていたのだ。裕志にも裕志なりの、口では言い表せない苦労の日々が続いていた。

 

 そんな風で、ほっとひと息の気分になりつつ、裕志は部屋にあるベッドの上に腰を下ろした。それから、やはりベッドの上に置いてあった例の弦楽器を右手で楽器に備え付けである皮製のベルトを肩からかけ、左手を使って本体から先に伸びた部分を支えつつ、何本も張られている弦{げん}を右手の四本の指で弾き、静かな演奏をひとりで奏{かな}で始めた。

 

 疲れた心を癒してくれる曲の音が、ポロ〜ン♪ ポロ〜ン♪ と、さほど広くない室内(六畳)の隅々にまで響き渡る。

 

 そこへ誰かがコンコンと、ドアを二回ノックする音。

 

「あれ? 先輩、もう帰ってきたとやろっか?」

 

 すぐに裕志は、弦楽器を弾くのを途中でやめ、それを元のベッドの上に置いた。さらに少し慌てた感じになって、ドアをガチャッと内側から開いた。

 

「や、やあ、君ね……♡」

 

「えへっ♡ 来ちゃった♡」

 

 廊下には由香が立っていた。

 

「ま、まあ、入って♡」

 

 裕志は由香を、自分の部屋に招き入れた。その際、左右をキョロキョロと見回し、廊下に由香以外の誰もいない様子を確かめてから、音を立てないよう、そっと静かにドアを閉めた。

 

 つまり小部屋で、ふたりっきり。やや緊張の面持ちで、裕志はアポ無しの訪問者である由香を、自分のベッドに座らせた。これにてようやく、ふつうの会話ができる雰囲気となる。

 

「よ、よかっちゃね? お店んほう、仕事中なんやろ♣」

 

「よかとよ♡ あたし、今から休憩時間なんやけ♡」

 

 由香のなにも後悔をしていないような笑顔を見て、裕志は少しだけ、なんだかほっとする気持ちにもなった。

 

「そ、そう……そげならよかっちゃけどぉ……お店もずいぶん変わったもんやねぇ♠ 特にあの孝治が女ん子に性転換しとったのにはビックリやったけど、女ん子になったかて違和感がいっちょもなかっちゅうのも、これまたもっとビックリやったけねぇ☺☻」

 

五箇月ぶりで本拠地に帰って、店内で遠くのほうからチラリと顔が見えただけであった。それでも完全に女性化していた孝治の姿を思い出し、裕志はくすっと吹き出した。

 

「それ、孝治くんには言わんほうがええっちゃよ☻」

 

「そ、そうっちゃね☻☺」

 

 ここで由香が話題を変えた。

 

「ねえ、それよか今度の冒険のことば聞かせて♡ とっけもなか(筑豊弁で『とんでもない』)遠かとこまで行ったとでしょ♡」

 

 裕志はこれに、苦笑いで応えた。

 

「まあ冒険っちゅうたかて、ぼくは先輩についてっただけやけねぇ☻ そげなツヤつけた(博多弁で『カッコつけた』)話はできんばい♥」

 

「そげなことなかっちゃよ♡ やけんお願い♡」

 

「そ、そうっちゃねぇ……☺」

 

 恋人からここまでせがまれては、裕志に抵抗できる術はなし。五箇月にも及んだ冒険行で、特に印象深かった場面を頭に思い浮かべ、裕志は由香に話してあげた。


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