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『剣遊記T』

第二章 五日前まで男だった。

     (9)

「ただいまぁ!」

 

 わざとらしい空元気は百も承知。孝治は友美を追い越して、未来亭の正面ドア――ガラスの回転扉を、クルリと通り抜けた。

 

 店内に入ればそこは、虹色の照明で幻想的に彩{いろど}られた酒場である。それも現在は昼間――にも関わらず、酒飲み客たちで、すべての円形テーブルが満席となっていた。

 

 さらにタバコの煙や香辛料の香りも充満。店の中は甘酸っぱい匂いで満ちあふれていた。

 

 そんなテーブルとテーブル。それと酒場の真ん中に設営されている円形の舞台――本当の夜になれば、大型イルミネーションが光り輝く下、踊り子が舞い、吟遊詩人が自作の歌を披露する――の間を、給仕係の女の子たちが客からの注文に応え、右に左にと走り回っていた。

 

「おーーい! 葡萄酒三杯、追加ったぁーーい!」

 

「マムシ酒もやぁーーっ!」

 

ツチノコの姿焼きくれやぁ!」

 

「はぁーーい! 今すぐぅ!」

 

 給仕係たちは皆だいたい、十代後半くらいの年ごろ娘が勤めていた。さらに彼女たちの制服は、アキバ系メイド服に似た感じ――であるが、色合いは各自の好みに任せられているようであった。

 

 早い話が、色彩はバラバラ。純白のエプロンと白いメイド型専用キャップを除いて、統一性は皆無である。

 

これは店長の自由放任主義的方針で、客が不快な気持ちにさえならなければ、いかなる色でも許す――との考えの賜物{たまもの}らしかった。

 

 もっとも、可愛い女の子たちがどのような配色の制服を着たところで、それを不愉快に感じる野郎など、この世にいようはずもないけれど。

 

 本筋に戻って、彼女たち給仕係一同も、孝治と友美の知り合い――というより友達である。だからふたりの帰店に誰もが親しげに声をかけてきた――のだが、それが一変。孝治を正面から視界に収めるなり、一様に驚きの顔へと変貌した。

 

「あらぁ、孝治くんと友美ちゃんやない☆ お帰りなさい……って、ええっ!」

 

 まずは給仕係のリーダーを務めている店一番のしっかり者。水も滴{したた}るいい女である一枝由香{いちえだ ゆか}が、先陣を切って黒い瞳を丸くした。

 

 ちなみに由香は、給仕係たちのリーダーを務めているためか、紺色の制服を着用。いわゆる定番の色で決めていた。だが、このいかにも生真面目そうな服装こそ、巷{ちまた}の野郎どもから最も高い支持率を集めているのだから、世の中は実にややこしい。

 

「ああ、そうっちゃよ☹☹」

 

 しかし由香の(小さな)驚きように、孝治はちょっとだけ、ムッとした気持ちになった。

 

続いて三階、もしくは四階から、戻ってきている途中なのだろう。宿泊している客の部屋にあったと思われる、注文されていた料理の空き皿を何枚かトレイに載せ、それらを両手でかかえて持っている夜宮朋子{よみや ともこ}が、階段で足を停めて孝治に注目した。

 

「あ、あにゃた……孝治くんにゃんよねぇ……?」

 

 朋子の制服は、各部分が白と黒と茶色に色分けされた、奇抜なデザインをしていた。おまけに背中へと回れば、スカートの下から白い毛が密生している動物のしっぽ(猫型である)らしき物体が、にゅ〜っと伸びていた。

 

 そんななりをしている朋子が、以前とどこかが違っている孝治の姿に、けっこう大きめの衝撃を受けたらしい。

 

「ちょ、ちょっとぉ! ほんにゃこつ孝治くんにゃのぉ!?」

 

 驚きのあまりか、たちまち朋子は、階段から足をすべらせた。

 

「にゃん!」

 

もちろんトレイとお皿の山がいっしょになって、下のホールの床まで落ちてきた。それらはすべてガラス製や陶器製なので、床の上でガッチャーンと、バラバラに砕け散ってしまった。

 

「うわっち! 朋子ちゃん、危ねえ!」

 

 孝治も思わず、階段下まで駆け込んだ。しかし間に合わず。朋子が階段を転がり落ちる大惨事――になるかと思われた。ところが朋子は、猫のような敏捷さで、まさかの大ジャンプ。

 

「にゃあーーっ!」

 

 なんと朋子は空中で身を丸め、クルクルクルリと月面宙返り

 

「にゃん!」

 

 見事な直立での着地を、両手を挙げて決めてくれた。

 

「はいっ♡ 十点満点!」

 

「おーーっ! キャット空中三回転じゃあーーっ!」

 

 酔客たちから盛大な拍手👏が沸き上がった。

 

「いっけにゃーーい!」

 

 つい調子に乗って、着地のポーズを決めた朋子であった。だけどすぐに我へと戻り、右手の指をパチンと鳴らした。とたんに砕け散っていたトレイやお皿の破片が、朋子の足元まで、床の上をすべるようにして集結。見る間に元の原型を取り戻した。

 

 給仕係を勤めているが、朋子にも魔術の心得があるのだ。

 

 これら給仕係たちのごくふつうな反応(ウソだろ!)も、孝治はやはり、予想済みにしていた。

 

「思うたとおりっちゃねぇ☻ みんな驚いてしもうて

 

 すぐに孝治の周りは、集まった給仕係たちでいっぱいとなった。

 

「い、いったいどげんしたと? ほんなこつ孝治くんね?」

 

「信じられんばい?♋」

 

 孝治は返す言葉に、苦笑いを含ませた。

 

「そ、そ、そうったい……ちぃっとばかし、格好が変わったとやけどねぇ……☻☻☻」

 

 先頭に立っている由香が瞳を大きく開き、孝治に矢継ぎ早な質問攻勢をかけてきた。

 

「格好だけやなかって! どげん見たって完全な女ん子になってしもうとろうも! いったいどげんして、そげんなったと!?」

 

「う、ううん……こ、これはやねぇ……☂」

 

 由香のこのド迫力を前にして、孝治はここでもタジタジの思いがした。

 

 女の子はどこの世界においても、とにかく滅法強いものだ。

 

 さらに続いて、由香の右横から、やはり給仕係の香月登志子{かつき としこ}がしゃしゃり出た。

 

「もしかして孝治くん、そっちん世界に行ったっちゃね?」

 

「うわっち!」

 

 ポッチャリとした外見と、なにも考えていないような顔付きの登志子であった。ところがこれでいてけっこう、性格が無神経であったりする。ついでながら給仕係たちの中では、一番の食いしん坊である笑える話も、孝治はすでに知り尽くしていた。今が業務中なのに、ときどきエプロンのポケットに入れてあるチョコレートやビスケットを、ポリポリとつまみ食いしている有様であるからして。

 

さらについでの繰り返しだけど、登志子の制服は紫色。色の紹介はもう良しとして、孝治は今の登志子の無神経――というよりも頓珍漢{とんちんかん}な発言で、過剰にムカつくモノを胸の中で小爆発させた。

 

「そ、そっちん世界ぃーーっ!」

 

 孝治の眉間をピリリと、電流らしいなにかが走った。ここでややヤバ系な状況となったにも関わらず、なおもはしゃぎ気味に皿倉桂{さらくら けい}と七条彩乃{しちじょう あやの}のふたりが、声を思いっきりに弾ませた。

 

「うわぁっ! 孝治くんったらぁ、がいに可愛くなっちゃってぇ♡」

 

「ひっちゃかめっちゃかに見違えちゃったばいねぇ♡」

 

 彼女たちも当然、強烈なる個性の持ち主である。桂は水色の制服が特徴で、顔立ちは色黒系。キラリと光る前歯が愛嬌の女の子。愛媛県{えひめけん}出身だというので、言葉は伊予弁{いよべん}である。また、長崎県{ながさきけん}出身である彩乃は、西洋人との混血{ハーフ}であり、髪は黒だが、瞳には青みが混じっていた。理由は彩乃の祖父が、東ヨーロッパの伯爵だから――ということらしい。それで家系に合わせたつもりか、制服は黒を基調とした配色で決めていた。

 

 ニコリと微笑めば、犬歯(別名=糸切り歯)が異様にとがって見えるところなど、こちらは愛嬌と言ってよいものやら。

 

 このような個性豊かな(?)給仕係たちに囲まれ、孝治はすでに、見世物の有様。それでも一番にカチンときた言葉は、先ほどの登志子のセリフであった。

 

「おれんこつ、どげん言うてもよかっちゃけど、『そっちん世界』だけは絶対違うけね! これは不幸な事故でこげんなったっちゃよ! それも世界一不幸な事故か事件やけね!」

 

 これこそ孝治の、魂の奥底からの叫び。しかしそれでも、登志子の気配り知らずなおしゃべりには、歯止めがまったくかからなかった。

 

「不幸な事故っていったいなん? わたし、孝治くんが本気でそっちん世界に目覚めてしもうて、シンガポールバンコクモロッコ辺りで手術したんやろっかっち思うたとよ✈⛴ もともとそげな素質のある顔しとったけ⛳ 早い話がいっちょも違和感なかもんやけねぇ♡」

 

 これに「うんうん♡」と、周りの給仕係たちも、同意のうなずきを繰り返した。このような給仕係の納得顔を見て、孝治は自分の瞳が、思いっきりに丸くなる思いがした。

 

「違和感のうて悪かったっちゃねぇ♨ それよかどげんして、そげな無駄知識に詳しかとや……うわっち?」

 

 さらに気がつけば、店で酒を飲んでいた客たちまでが、いつの間にか孝治を囲んでいた。

 

「ほんまや! 確かにこいつは孝治ばい!」

 

「女になっかて原型が残っとうけ、ようわかるわ♐」

 

「ほんなこつ違和感なかっちゃねぇ〜〜⚐⚑」

 

「いったいどげな風邪の吹き回しで、女になったとや?」

 

 孝治も友美も、ふだんから酒場で食事をする場合が多かった。そのため店の常連客たちも、ふたりの顔なじみとなっていた。だから彼らの性格も、だいたいにおいてつかんでいた。

 

 遠慮知らずな野次馬であるという気質を。

 

「お、おれ、みんなに教えてくるけ!」

 

 ついでによけいなお節介なのも、北九州の人間の特徴であった。

 

「うわっち! そげなことやめちゃってやぁ!」

 

 孝治は大声を出して呼び止めたが、後の祭り。脱兎のごとくの快足で、客のひとりが店から外に飛び出した。

 

「あん正男{まさお}のおしゃべり🐺野郎がぁ! これで街中に、おれの性転換の話が広まっちまうばい☠ おとなしゅう盗賊だけやっとったらええっちゅうとにぃ!」

 

 孝治は事態の最悪化を再認識した。同時に大きなため息を吐いた。そんな孝治に、友美がうしろからポンと右肩を軽く叩いて、あっけらかんと言ってくれた。

 

「まあまあ、もともと隠す気なんち毛頭なかったんやし、これで良かったんとちゃう? むしろこっちが教える手間がはぶけたみたいなもんやけねぇ☀ それに今の枝光{えだみつ}さんやったら野生の速足自慢なんやけ、それこそ一日{いちんち}で街中に広めてくれるっちゃろうねぇ✈」

 

 これで慰めのつもりらしい。実際、話の展開が行き着く所まで行き着いた以上、孝治にはもはや、あきらめの境地しか残されていなかった。

 

あとはもう、なにも話せんとばかり、酒場をさっさと通り抜けるだけ。今も押し寄せる野次馬たちを、右に左にとかき分けながらで。

 

 だからと言って、押し寄せる野次馬側は、そう簡単には通してくれなかった。

 

「で、男ばやめて女になった、本当の理由ば教えてくれんね!」

 

「どげな気持ちの変化があったと?」

 

「お、おれと結婚してくれんね♡」

 

 最後の馬鹿を、孝治はグーの右パンチでぶっ飛ばした――などなど、とにかくこの調子。孝治の代わりに友美が、あからさまに興味しんしんな給仕係や酔った野郎どもに向けてペコペコと頭を下げ、両手のシワとシワを合わせながらでの弁明を繰り返した。

 

「見てんとおりっちゃけ! 孝治が落ち着いたらきちんと事情説明やら記者会見ばやらせるっちゃけ♠♣ やけんきょうのところは、もうそっとしといて、お願い!」


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