『剣遊記T』 第二章 五日前まで男だった。 (8) 裏の通りを抜けて表に出れば、目的の場所がある、小倉の中心街が見えてくる。
「ねーちゃん、おいらと飲むべぇ♡」
「しゃーしぃったい!」
最後までしつこくからんできたハゲ頭の酔漢を、孝治はうしろ回し蹴りで、側頭部にガツンと一発。道路上で眠らせてやった。
さらに最終関門であり難関でもある、建物と建物の間のせまい隙間。
「そこの美人の戦士さぁ〜〜ん! あたいらと美人局{つつもたせ}やらんねぇ?」
これまた勘違いをしている娼婦たちが、一斉に勧誘の手を差し伸べてきた。孝治は彼女たちの手を強引に振り切りながら、やっとの思いで先行している友美のあとを追った。
「ちょっと待っちゃりやぁ、友美ぃ!」
「もう、早よしいやぁ☁」
それから表の道に出たところで、孝治は裏通りのドブ臭さから、ようやく解放された気分になった。
足元が砂利から石畳の舗装となり、大きな道路に変貌しているので、その差は歴然。道の両側には商店や銀行、ギルド{組合}関係の建物がズラリと建ち並び、街全体が大型の商業地域となっていた。また、道を行き交う人々の服装も、綺麗で高級そうなシロモノばかり。
まさしくこれは、表と裏の現実。富める者と、そうでない者の格差を、孝治と友美に実感させてくれる光景でもあった。
そんなふたりの瞳の前に、全体が青い色で塗装をされた、大きな木造の建造物がそびえていた。
『未来亭{みらいてい}』という名称の、一風どころか二風も三風も変わっている、酒場兼宿屋である。
それもふつうの酒場や宿屋ではない。市内にある他の同業者と比べれば、建物の規模が格段に違っていた。それは木造ながら、基礎設計がよほど強固なのか、地上四階もあるのだ。
建物の構造は、一階が広い面積の酒場。二階が店長執務室と従業員たちの事務室兼休憩室。三階と四階は宿泊客たちの部屋と、店に下宿している店子{たなこ}たちの個室で構成されていた。
つまり孝治と友美は、ここ未来亭に部屋を借りて住んでいるわけ。未来亭こそ、ふたりが帰る本宅なのだ。
それと店の正面出入り口の左横には、来客用である馬の繋留所が設置されていた。孝治はその前を通ったとき、五頭ほどいるサラブレッドたちに混じってロバ――らしき動物が、一頭いる様子に気がついた。
「へぇ、ロバがおるっちゃねぇ♪」
初めは平凡に、見たまんまを孝治はつぶやいた。しかしよく観察をすれば、なにかが微妙に違っていた。
「うわっち?」
ロバ自体は馬や牛のように、荷物の運搬や乗用などに重宝される、旅の道中でおなじみの家畜である。だが、現在繋留所につなぎ留められているロバは、孝治の頭に記憶されている印象の範疇からは、どこかが外れていた。
これをなんと説明したら良いものやら。とにかくロバのようでいて、なんだか毛並みが異なっている。それしか他に言いようのないものだった。
「孝治っ! 早よせんね!」
「うわっち! う、うん、わかった……♋♋」
このとき友美が急かしたりしなければ、孝治はなおも深く、ロバに興味を感じ続けていただろう。だけど、ふだんから尻に敷かれている悲しい習性が災いした。
「ちょい待ちいや、友美ぃ!」
なんとなく気持ちに引っ掛かりがあるものの、孝治は友美から引っ張られる格好で、店内のほうへと足を急がせた。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto ,All Rights Reserved. |