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『剣遊記T』

第二章 五日前まで男だった。

     (5)

 閉め切った詰め所の中は、うだるように暑かった。これだけでもウンザリして、『勘弁しちゃってや☠』と言いたくなるような空間である。なのに、中には木のテーブルが一台と、丸椅子がふたつ置いてあるだけ。仕事をするにはとてもきつい環境である職場だということを、孝治は実感で思い知らされた。

 

「待たせて悪りい、砂津さん♠♪」

 

 こげな暑か場所が仕事場なんやねぇ〜〜と、孝治は砂津に内心で同情した。だけど、過酷な労働現場の話は、今は棚上げ。孝治はすぐさま本題に入った。

 

「さっ、おれが女になったこつ、これから証明するけね♪ いきなりで信じてくれんかもしれんけど、先に理由ば言えば、これは変な魔術師から変な薬ば飲まされて、こげな変なことになってしもうたと♞ やけんこれは好きでなったんやのうて、不幸な事故か事件っちゅうことやけね☻ やけん、そこんとこ、おれに同情しちゃってや☚ さて、お望みやったらこん場で、ほんなこつ裸になってもよかっちゃけね♥」

 

 矢でも鉄砲でも軍艦でも――の覚悟を超え、全身火だるま的ヤケクソ気分の孝治は、早速砂津が見ている前で、着ている革鎧をさっさと外し始めてやった。

 

 友美には悪いがこのとき、ようやく胸が窮屈から解放された思いがした。

 

 ところが砂津は、もろに驚きの顔。

 

「ま、待たんかい!」

 

両手を開いて前に出し、パタパタと左右に振りまくった。

 

「お、おれは、なにも、そ、そ、そ、そこまでや、や、やれっち、い、い、い、言うとらんのやけ!」

 

 早い話がパニック。しゃべり方の呂律{ろれつ}も、すでにメチャクチャ。砂津の顔面は早くも、破裂寸前の完熟トマトと化していた。

 

「ま、まあ……人が、いきなり、か、か、変わったっちゅうこつ、この世間じゃようあることで、おれもよう聞くったい! やけん、じ、事故か事件っちゅうのも、おまえの話ば、一応信じちゃるけ☀ くわしい事情は今度、非番んときでもゆっくり聞かせてくれんね⛑ そ、それよか、おれが言いたいのは、おまえの通行証んことやけ!」

 

「通行証んこつ? う、うん……それも一応問題なんやけどぉ……?」

 

 慌てふためきながらも本題に入ったらしい砂津の真面目そうな話で、孝治は少々、拍子抜けの思いとなった。

 

 初めの(Hな)予想から、大きく食い違ってきた話の展開に。

 

(砂津さんっち……おれが女に変わったことよか、やっぱ仕事んほうが大事で優先なんやろっかねぇ?)

 

 孝治の胸の中で疑問と、『生真面目も度ば超えちょるやろ♨』の思いが交錯した。それでも現在、孝治は鎧を外し終え、その下の防衣に手をかけていた。そんな状態なので、砂津は早くも限界の域の有様。両目を真っ赤に充血させている様子が、まさにその表われだった。

 

「お、お、おまえの通行証、せ、せ、性別欄んとこが男んまんまやけ、このまんまじゃちとまずかことになるやろっち、おれは教えてやろうとしたと! や、やけん、誰が服ば脱げっち言うたやぁ!」

 

「そうやねぇ……でもやねぇ……♣」

 

 口振りは軽めながらも、孝治は複雑な思いで、砂津に言葉を返した。

 

「砂津さんの言うとおり、それも大事なことやけど、おれの性転換そのものは、いったいどげんなるとや?」

 

 確かに通行証は、これから先の生活に関わる大問題である。だからこそ耶馬渓からの帰りは一般的な街道を避けて、少々危険で困難でも、山の中の道を通ったのだ。

 

 しかしそれでも、一番肝心要{かんじんかなめ}である変身の理由が、なんだか脇に置かれた感じがする。そんな気持ちである孝治に砂津が、それなりに心配しているらしい忠告を、そ〜〜っとささやいてくれた。

 

 真正面から顔を見るようにしながらも、肝心の視線は、あさっての方向にそらしているけど。

 

「つ、通行証に不備があったら、はっきり言って法律違反やろ☠ これからどげな疑いばかけられるかようわからんし、戦士の仕事にも差し支えるやろうが☂」

 

 などと、どこまでも生真面目な砂津の言葉に、孝治はもはや、大きな感動の思いがしていた。

 

「砂津さんて、ええ人やねぇ〜〜☺」

 

 それと同時に、ひとつの計算も働いた。

 

「……ほんなこつ、おれが女になったことより仕事んほうが大事なんやねぇ☻ まあ、ええわ✌ そこまで言ってくれるとやったら、通行証の件、砂津さんが手続き変えてくれたらよかろうも♡」

 

「なぬ?」

 

 孝治のあっさり――と言うか、少し挑発を混ぜたセリフで、砂津の両目が点になった。

 

「そ、それは……やねぇ……☁」

 

 返事が詰まり始めたらしい砂津に、孝治は図々しい態度を承知のうえで、おねだり気味な言葉をかけてみた。現在防衣も脱ぎ終わり、上半身白シャツ一枚の格好で(描写禁止⛔)。

 

「砂津さんやったらその辺の手続き、楽ぅ〜〜に出来る立場やろ? やったら簡単な話やない♡」

 

「お、おまえ……ほんなこつ簡単に言いようけどなぁ☠」

 

 まさか自分に責任の一端が押しつけられるなど、考えてもいなかったのだろう。砂津の顔色が真っ赤から真っ青へと、一気に変色した。カメレオンも顔負けである。そこへ孝治は、砂津にそっと顔を寄せ、今度は妖{あや}しい素振りでささやいてやった。

 

 砂津の右の耳に、ふっと息を吹きかけながらで。おまけにこのとき、孝治は最後のシャツに、右手をかけている段階だった。

 

「おれの友達にライカンスロープ{獣人}がおるとやけど、そいつん場合、動物に変身しちょる場合ありって通行証に書かれとって、そんで日本中で通用しよるんばい✋ やけんそれとおんなじっち思うっちゃけどねぇ★」

 

 仕草を妖しくしている割には、内容が無理矢理的な例え話であるのを、孝治はこれまた自覚済み。それがわかっているのか、いないのか。砂津は孝治の言葉を、とにかく真面目に聞いてくれた。

 

「そっかぁ〜〜、そげんこともできるんやったねぇ……♥」

 

(砂津さん、女のおれが顔近づけとうけ、顔がまたまた真っ赤に戻ったばい✌ これなら少々無理な相談かて聞いてくれそうやし、完全におれの言いなりっちゃね♡)

 

 本心での大笑いをグッと我慢。孝治はいったん砂津から身を離して、返事を待ってみた。これに砂津は考える様子で立ったまま両腕を組み、なにやら「う〜ん☁」とうなり続けた。

 

 全身に緊張の色をにじませながらで。

 

 それでもやがて、頭の中がまとまったらしい。組んでいた両腕を外して、孝治に顔を向けた。なるべく首から下を見ないようにして。

 

「やけどなぁ、そん方法には問題があるばい☃」

 

「問題って、なんね?」

 

 してやったりと意気込んでいた孝治は、再び意表を突かれた気になった。そこでもう一回、自分の顔を砂津に寄せてみた。もちろん砂津は、目線のやり場に困った様子。一生懸命、孝治からの誘惑に耐えているような感じで答えてくれた。

 

「ラ、ライカンスロープっちゅうのは、人間と動物の変身が自由自在なんやろ! やったら孝治は、男から女に自由に変われるんけ? どっかの衛兵が『元に戻ってみい☛』言うたら、いったいどげんする気や? さっきからの話ば聞いとったら、それは出来んような感じやけんが☠」

 

「そ、それはやねぇ……☁」

 

 一番痛い所を突かれた気になって、孝治は返事が詰まり気味となった。確かに元の男に戻れる方法が、今のところはまったくなし。そもそも性転換した原因が、謎の睡眠薬の副作用(らしい)という、超不幸な事故であるのだから。

 

 だからと言って、今さらあとにも引けなかった。

 

「そ、そんときは……今みたいに色仕掛けたぁーーい! おれってもう、性格変わっとうけねぇ!」

 

 これにて孝治は、完全無欠に開き直った。もはや最後のシャツを脱ぎ捨てる暴挙もためらわなかった。

 

「わわあっ! おまえ、女の恥じらいば知らんのけぇ!」

 

 けっこうかたちが整っている健康的な胸――友美が言うところのおっぱいを、成人男性の面前で堂々の大公開。これにて砂津は、頭の芯まで大パニックとなったようだ。たった今までかろうじて保持していたと思われる理性が、完ぺきにどこかへ吹き飛んだ感じとなっているので。

 

「わ、わかったあーーっ! 通行証はおれが女に変身中……ただし元へは戻れませんっち書き加えて、市の証明の印鑑ば捺{お}しとくったい! それでだいたい通用するっち思うけん! そん代わり、あとは知らんけね! 自分で勝手にごまかしや!」

 

 砂津は日本人が大好きな創作四字熟語――『自己責任』で、逃げの姿勢に転じた。

 

「ずいぶんええ加減なモンやねぇ〜〜☠ ほんなこつ、それでよかっちゃね? 印鑑の責任はどげんなるとや?」

 

 自分でそのように仕向けておきながら、孝治は頭の上に、いくつもの『?』を浮かばせた。だが、仕向けられた砂津のほうは、もはや通行証どころではないようだった。

 

「そ、それよか、おまえはなんしよんねぇーーっ! もう精神の臨界点ばぁーーい!」

 

 砂津はついに卒倒。辞世の句を残し、まるで棒倒しの棒のごとく詰め所内でバタリンと、仰向けに倒れて転がった。


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