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『剣遊記T』

第二章 五日前まで男だった。

     (13)

 孝治はこの間、ある種の期待感を持って、黒崎の様子をジッと無言で見つめていた。

 

 だが、孝治の思いは虚しく終結した。黒崎があっさりと、無念の回答をよこしてくれたからだ。

 

「駄目だがや。肝心の部分がのうなっとーけ、くわしい薬の成分がわかりゃーせん」

 

 さすがの黒崎にも、お手上げなことがあったという話か。

 

「やっぱ店長でも駄目なんですねぇ……☂」

 

 黒崎のつれない回答で、孝治は大きな落胆のため息を漏らした。

 

「とにかく今度、知り合いの魔術師に相談して、もっとくわしい分析をしてもらうがね。それはそうとして、きょうはもう疲れてるようだから、今回の仕事の経緯は、またの日にするがや。まあそれよりも見たところ、性転換しても孝治の今後の仕事には、あまり差し支えはなさそうだがや」

 

 前向きと言えば前向きであろう。しかし、今の孝治の心境には配慮も同情もないように響く、黒崎の最終的な締め言葉。孝治は再び、頭に血が逆流する思いを感じた。

 

「あんねぇ! 話はそれでお終いね!」

 

 それでも黒崎の能面は、微動だにしなかった。

 

「そうだがや。実際、困った実例でもあるのかね?」

 

「あるったい! 戦士の防具ば全部女性用に買い替えるとに、いったいいくらかかるかわからんと! それに通行証ばなんとかせんといけんとですよ! なにしろ性別が変わったんやけ!」

 

「帰る途中孝治っち、こっちが親切で胸甲ば貸したんに、ずっと胸が苦しか苦しかばっかし言いよったけねぇ♐ まるでわたしへの当てつけみたいやったばい♨」

 

 孝治のうしろで友美が、思いっきり腹立たしそうにつぶやいていた。

 

「そうだなぁ。確かに通行証は問題だがや」

 

 戦士の必需品であるの類{たぐい}には、黒崎は興味があまりなさそうなだった。だけど、同じ必需品である通行証のほうには、少なからずの関心を見せてくれた。

 

 彼にとって重要な件は、やはり戦士や魔術師の、各地への派遣なのであろう。

 

「そ、そうです……通行証……どげんかなりませんか?」

 

 鎧の件では肩透かし。しかし、こちらも重大な心配事項である。

 

 すでに孝治は、検問所の衛兵砂津から、仮のような認証をいただいていた。けれど、それだけではどうしても、問題の解決には、まだまだ程遠いのだ。

 

 ところが黒崎は、やはり大人物であった。もはや哀願の思いとなっている孝治を前にして、冷静に淡々と言葉を並べられるだけの態度でいるのだから。

 

「通行証の件なら心配せんでええがや。孝治の通行証に未来亭の社章印を捺{お}しておけば、孝治は今までどおり、日本中どこでも行けるがね。男性から女性に変わった件は……そうだなぁ、魔術の事件ではなく、家庭の事情で変わった、としておこう。そのほうが他人から、いろいろと誤解をされないだろう。僕がそのように書き添えておくがや」

 

「家庭の事情で性転換って……いったいどげな事情ね?」

 

 孝治は一瞬、自分の内の空白化を感じた。性転換の理由がもはや、どうでもよい次元となっているからだ。

 

 かと言って、孝治にもこの先、進む道は他になし。思いっきりの妥協で、孝治は黒崎に、一応納得の相槌で応えてやった。

 

「ま、まあ、それでええとやったら、もうそれでよかっちゃです☹ 今度、どっかの検問ば通るとき、それで確かめてみますけ☕」

 

本音である不満の解消には、これまたまったく、まだまだ程遠いのだけど。

 

(これで店長の言葉が嘘やったら、おれは不法通過で逮捕やねぇ☠ 今回の帰りかてそーとーヤバかったんやけど……確か通行証の偽造は、懲役十五年ぐらいやったはずっちゃねぇ……☠)

 

 孝治は自分の頭にある、刑法の記憶をまさぐった。その間に黒崎は、話し合いの締めくくりに入っていた。

 

「では、きょうの話はこれで終わったみたいだがね」

 

「うわっち! 話はまだ済んじょらんです!」

 

 孝治は大いに慌てまくった。だけど黒崎はやはり、まったく動じなかった。

 

「勝美君、例の物を」

 

「はい、店長♡」

 

 何食わぬ顔をして勝美に一枚の用紙を(パタパタと飛んで)持ってこさせると、黒崎は孝治と友美に振り向いた。

 

「とにかく孝治と友美君には、これからも未来亭での仕事を頑張ってもらうがね。そこで新しい仕事の依頼があるんだが、あすはその件で打ち合わせを行なおう」

 

「うわっち!」

 

 血も涙もない仕打ちとは、まさに現在行なわれている所業のことであろう。孝治はもろに、不満たらたらとなった。

 

「も、もう次の仕事があるとですかぁ! もっと誰か、他に人はおらんのですかぁ!?」

 

「それが、おらんのよねぇ〜〜♥」

 

 勝美はあからさまに『残念でした☻』の口振り。しかし黒崎のほうは、一応考える素振りで、下アゴに右手を当てていた。

 

「そうだなぁ〜〜」

 

 それからもう一度、勝美から受け取った用紙に目を向けた。その用紙を孝治も覗いてみたのだが、未来亭所属戦士の予定が、ズラリと書かれてあった。それはそうとして、黒崎の返事そのものは、すでに決まっていたようだ。

 

「あいにくだが、今のところは君たち以外の全員が、別の仕事で出払っとるがね。君たちの先輩の帆柱{ほばしら}君が、もうすぐ帰る予定にはなっているが」

 

「帆柱先輩けぇ〜〜☁」

 

 自分より四期上である先輩の名を、孝治は少しだけ苦々しい思いでつぶやいた。

 

 彼は筋骨隆々という、強烈な個性の持ち主であった。しかも俊足で、の名手でもある。

 

「帆柱先輩って、もっのすごう厳しゅうて、おまけに頭がバリバリそーとー固いけん、おれが女に変わったっち知ったら変な風に誤解ばして、おれば蹴り飛ばすかもしれんばい☠」

 

「先輩の脚力って、ものすご馬力あるけねぇ〜〜♪」

 

 おっかない先輩の影に怯える孝治のうしろから、友美が恐ろしいささやきをかけてくれた。

 

「うわっち! そ、そげなこつ言うの、やめちゃってや!」

 

 孝治の背中を、雪男の団体がドドドッと駆け降りた。

 

「では、きょうのところは、これで解散にするがや」

 

 ここで孝治の胸中など知るはずがないであろう黒崎が、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

「きょうはもう風呂にでも入って、旅の汚れを落とすがええがや。あしたからの仕事に備えてな」

 

 これにて本日の話は終了。人は常に前進あるのみと、黒崎は孝治と友美をうながし、三人で執務室をあとにした。

 

「それじゃあ店長、私は後片付けしてから帰りますけん♡」

 

「よろしく頼むがや」

 

 執務室にひとり、秘書である勝美を残してから。

 

(あのちんまい体で、よう部屋の片付けっとかできるもんっちゃねぇ〜☺☻)

 

 そんなピクシーに対する感心と同時に、孝治は自分でもつまらないと思えるような不満も、まだ胸の中で燻{くすぶ}らせていた。

 

(それにしたかて、この冷血店長、けっきょく責任取る気ば、いっちょもなかみたいっちゃねぇ〜〜☠ いつもかつも、おれたちばコキ使ってばかりでくさ⚠)

 

 こんな孝治の腹の中を、黒崎は本当にわかっていないのだろうか。

 

 外見で判断をする限りでは、それは相当にむずかしい疑問のようである。


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