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『剣遊記T』

第二章 五日前まで男だった。

     (12)

 二階に上がれば、階段の真正面が店長の執務室である。

 

 孝治は自分の大変化に対する、店長の予測不可能な反応を覚悟していた。だけど、この件はすでに、熊手から報告をされているはずである。それでも一応、礼儀は礼儀。孝治はノックを三回行なった。

 

「あのぉ……孝治です⛐ 今、帰りましたぁ……☁」

 

 声少し細めにしながら、丁寧語で中からの応答を待った。

 

 すぐに返事が戻ってきた。

 

「いいがね。入りたまえ」

 

「は、はい……☁」

 

孝治は執務室のドアノブを右手で握って回し、ドアを静かに開いた。友美もいっしょに、孝治に続いて入室した。

 

壁の棚に書籍などがズラリと並んでいて、そんな風で、いかにも経営者の仕事場にふさわしい雰囲気の部屋の中だった。ふたりの男性が、孝治と友美を待ってくれていた。

 

 ひとりはもちろん、先にたぶん報告で上がっていた、給仕長の熊手。さらにもうひとりの肝心極まる人物こそ、未来亭の敏腕店長としてその名が轟く、黒崎健二{くろさき けんじ}氏その人であった。

 

「凄かぁ! 孝治さん、ほんなこつ女に変わったとんごたある!」

 

 先にふたりの男性と書いたが、これは間違い。実はもうひとり、部屋には女性がいた。従って、正しくは計三人。

 

 その女性が背中の羽根(!)をパタパタと羽ばたかせながら、宙を飛んで孝治の真正面まで寄ってきた。

 

「ほんなこつこれは、がばい凄かこつやねぇ☀☆」

 

「勝美さん、そげん間近でジロジロ見らんでもよかろうも☁」

 

 孝治は苦笑気分で、瞳の前の佐賀弁でしゃべる女性――光明勝美{こうみょう かつみ}から、一歩も二歩も後ずさりをした。ただし、瞳の前で宙に浮かんでいる勝美の身長は、孝治の顔とほぼ同じ。しかも背中には羽根――アゲハチョウ型で半透明――が広がっていた。

 

この羽根で勝美は、自由自在に宙を飛んでいるのだ。

 

 つまり勝美はピクシー{小妖精}。世界がいかに広しと言えど、滅多にお目にかかれない、真にレアな存在である。

 

「勝美君、あんまり近くで見たら、孝治が恥ずかしがるがや」

 

「はぁ〜〜い♡」

 

 うしろから店長――上司である黒崎に注意をされ、勝美がすなおな態度で、事務机の上に舞い降りた。

 

 そう。勝美はピクシーでありながら黒崎の秘書を務めている、有能な才女でもあった。そのため服装も超ミニチュアサイズであり、背中から羽根が出せる様式になっている点を除けば、いかにも利発そうでお洒落{おしゃれ}な、事務的秘書スタイルを着こなしていた。

 

「いや、失礼したがや。まあ、勝美君の気持ちも、僕にはわかるというものだがね」

 

 黒崎も少し微笑むような顔になって、椅子から立ち上がり、孝治と友美を迎えてくれた。

 

「とにかくまあ、リラックスするがええがや」

 

「は、はい……☁」

 

 そうは言われても、孝治はリラックスの心境には程遠く、また友美も同じようであった。それでもとりあえず、部屋のソファーに、ふたりそろって腰を下ろした。

 

 店長――黒崎氏が在室している執務室は、かなりの面積がある部屋だった。加えてインテリ感丸出しで、前述したとおり壁の書棚にはむずかしそうな哲学や歴史書、魔術や占星術の類{たぐい}。経営や商業に関する専門書などが、多数そろえてあった。

 

 だけど、事務机以外の家具などは、ほとんどなし。孝治も時々お邪魔をするのだが、いつも感じる思いは「色気も素っ気もなか部屋っちゃねぇ〜〜☠」の、冷めた感想ばかりであった。

 

 それはさて置き、椅子から立ち上がった黒崎の姿についても述べる。彼はまさに、大型店の店長の見本といえた。

 

 服装は紺の背広を着用。ネクタイは紫色で決めていた。

 

 だが、この黒崎こそ、たったひとりで大型酒場兼宿屋である未来亭を切り盛りする、大きな手腕の持ち主なのだ。

 

 ただし、年齢は不詳。一見した感じでは、孝治より年上なのは、間違いないようだった。だがそれさえも、五〜六歳ほどの年齢差にしか見えないようなのだ。

 

 おまけに間違いなく先代から店を受け継いだ、言わば生粋の九州生まれの二代目のはず。それなのに言葉に九州訛りは、ほとんどなし。その代わりのつもりなのか、商売上有利だとの理由から、日本の中部――織田皇帝発症の地――名古屋弁でいつも話していた。

 

 ところがこれが、孝治の耳には、どこかインチキ臭い感じに聞こえるシロモノ。それも明らか名古屋弁を茶化して物真似をしている――としか思えないしゃべり方なのだ。

 

 だけど、そんなささい(?)な表の話よりも、孝治はもっと重要な、裏の実態を知っていた。

 

 この黒崎こそが、北九州市で一番の実力者であるという事実を。

 

 なにしろ海外からの貿易船が港に入れば、それらの船長は皆、北九州市の市長を差し置いて、真っ先に黒崎の元へと挨拶に訪れるのだ。

 

 さらに首都の京都から、身分の高い貴族が来訪したときでさえ、黒崎の前では平身低頭だった。

 

 孝治は一度だけ、実力の理由を黒崎に尋ねたことがあった。

 

 だけども返答は、ひと言で終了した。

 

「知らんがや」

 

 このため黒崎は、孝治にとって大事な雇用主であるのと同時、得体の知れない怪人物でもあった。

 

 などと、これらの人物評はとにかくとして、孝治と友美の入室と入れ替わる格好で、熊手が執務室から退席した。

 

 さも自分の用件は終わったけね――と言わんばかりに。

 

 それから黒崎が椅子に座り直し、勝美が「はい、どうぞ♡」と手渡した書類(ふつうの人間が扱うサイズの書類だが、勝美は平気で紙の束をかかえていた。ピクシーはけっこう力持ちなのだ)に目を通す、事務仕事を再開させた。

 

「あのぉ、店長……☁」

 

 これら一連の事務的仕草で、なんとなく不安な気持ちになった孝治は、恐る恐るの思いで声をかけてみた。

 

 なんだかこちらのことが、忘れられているような気がしてきたので。

 

 すると黒崎は、別に思い出したという風でもなし。ふだんの業務スタイルで、孝治と友美に声をかけ直した。

 

「ああ、そうだったがや。熊手君から話は聞いてるがね。ドえりゃあことだったなぁ」

 

 いったい人の血が通っているのか、いないのか。モロに事務的なしゃべり方だった。

 

 髪型は七・三分けで、顔もけっこうイケメンの部類。だけど性格がどうにも、優しい男なのか。それとも冷血仕事人なのか。なんとも判別が困難なのだ。

 

「は、はい……どういたしまして……☁」

 

 これでは孝治も、どのように返事を戻してよいものやら。毎度のことながら、黒崎がなにを考えているのか、さっぱりわからなかった。

 

(その熊手さんがおれんこつ、どげん風に言ったか、知りたかっちゃねぇ……っちゅうか、しゃべっとうとこ見たかったわ……☁)

 

 孝治のこのような情けない胸の内など、もちろん知るよしもないだろう。黒崎の口調は、どこまでも淡泊そのものでいた。

 

「まあ、今回の仕事で男をみがいてきゃーる、と言っていたんだが」

 

(そんメチャクチャな訛りもやめてほしかっちゃよ♨ それにパシリん仕事で、男ばみがけるわけなかろうも♨)

 

 孝治の内心は、ますますの不満で爆発寸前――となりかけたところで、黒崎がそのものズバリを言ってくれた。

 

「まさか女性になって帰ってくるなんて、僕も驚いたがや」

 

「それって驚いた言い方やなかでしょ!」

 

 まさに口から出しているセリフの割には、孝治の指摘するとおり、黒崎に大きな衝撃を受けている様子がなかった。

 

 身近にいる人間の性別がからに変わるという、世にも奇妙な大事件が目の前で起きているのに。

 

 この黒崎のあまりの無頓着ぶり(あるいはトンチンカン)で、孝治はついに、心の癇癪玉{かんしゃくだま}を大爆発させた。

 

「『驚いた』のひと言で片付けんでほしかっちゃですよ! 人がきょうまで十八年生きて、いきなり性別の変更やなんて、ふつうの人生では絶対有り得んことでしょうが!」

 

 これでも黒崎の眉は、ただの一ミリたりとも動かなかった。

 

「僕は君に性転換してくれとは、一回も言った覚えはにゃーがね」

 

「そ、そりゃ、そうっちゃけどぉ……☂」

 

 黒崎からたったひと言返されただけで、孝治は早くも腰砕け気味。

 

(こりゃちゃーらんわ☠ 作戦変えんといけんみたい……☃)

 

 などと考えたところで『作戦』など、初めからありもしなかった。それでも店長に全責任ば取らせたかぁ〜〜の思いだけは、孝治の胸の中で、ますます強まっていった。

 

「い、いや、そもそも、だいたいがですからねぇ……おれが性転換ばしたんは、店長がおれに変な仕事ば持ってきたからでしょうが……☁」

 

「羽柴公爵に手紙を届けるのが、そんなに変な仕事なのきゃーも?」

 

 やはり黒崎の顔は涼しげだった。

 

「そ、そうなんやけどぉ……☂」

 

 孝治は次のセリフに詰まった。話の筋は、どこまでも黒崎に分があるからだ。

 

 ここ未来亭には孝治と友美だけではなく、他にも多くの戦士や魔術師、盗賊や吟遊詩人などが、部屋を借りて住んでいる。だからと言って、未来亭は単なるアパートではない。店長兼大家である黒崎が窓口となって仕事を仲介。斡旋する形式。いわゆるギルドも構成していた。

 

 今回孝治は、そのような業務遂行中に、性転換の災厄をこうむった。その原因である羽柴家へ手紙を届ける任務も、黒崎が依頼を請け、孝治にやらせた仕事だったわけ。

 

「おれがこげんなったこつ、店長は今初めて知ったっち思うとやけど、店長かて初めに公爵さんの城に盗人が来る恐れがあるなんち、いっちょも教えてくれんかったでしょ♨ それば知っとったらおれかて、こげな目に遭わんかったっち思うとやけどねぇ☢」

 

 なおも一生懸命まくし立てる孝治であった。それでも黒崎は余裕の表情――いや無表情😑を、一向に崩そうとはしなかった。もはや当初の『微笑み』など、遥か彼方の世界ともなっていた。

 

「羽柴公爵の城でなにが起ころうと、こちらが関知することではありゃーせん。それより突発的事態に対処できんかった自分自身に、非があるんじゃにゃーか?」

 

「そ、そげん言うたかてぇ……☃」

 

 やはり舌戦で、孝治に勝ち目はなし。その隙を突くかのようだった。黒崎が話の筋を、突然に切り替えてくれた。

 

「それより孝治が女性になった経緯{いきさつ}を、ここで話してもらいてゃーのだが」

 

「あ、ああ、それですね☀」

 

 話の方向性が変わったとたん、なんだかほっとした気持ちになるのは、けっきょく負けを認めた格好なのだろうか。孝治はそんな思いを否定したいがために、頭をブルブルと横に振った。それから窓辺で立つ友美に顔を向けた。

 

「友美、あの瓶見せちゃってや☁」

 

「ああ、これっちゃね✎」

 

 孝治と黒崎が丁々発止をやり合っていた間、友美は勝美と、なにやら楽しく雑談をしていた。

 

 たぶん、自分の出番がないので暇だったのだろう。そこへ孝治からのご指名である。友美は着ている革鎧の懐{ふところ}から、耶馬渓で拾った茶色の小瓶を右手で取り出した。

 

 衝撃で割れないようにした、魔術の防御封印を解きながらで。

 

「店長、経緯はあとでちゃんと説明しますけど、今はこっちんほうが重要なんです☟ 孝治はこれに入っとった薬ば女盗人から飲まされて、男から女になってしもうたとです♀♂」

 

「ほう、これきゃーね」

 

 黒崎が友美から、小瓶をまるで貴重品でも扱うような手付きで、こちらも右手で受け取った。

 

 それから破れている表示に残っている説明書きに、じっくりと目を通した。


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