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『剣遊記T』

第二章 五日前まで男だった。

     (1)

「なんね、これ?」

 

 泣くだけ泣いて、ようやく気持ちが落ち着いたらしい(その割には、涙がちっとも流れていない☂)。友美が自分の足元に落ちている、一本の茶色い小瓶を左手で拾い上げた。

 

 孝治も最初の衝撃から、少しずつだが、平静を取り戻しつつあった。それでも心臓ドキドキは、いまだに収まらないまま。そこをグッと我慢して、友美が拾った小瓶に瞳を向けた。

 

「それにあの魔術師がおれに飲ませた薬が入っとったんばい☠ 空っぽになったけ、ほっぽって逃げたっちゃね♨」

 

「ふぅ〜ん、そうけぇ♗」

 

 友美が小瓶を右手に持ち替え、表面をしっかりと眺め回した。

 

 なにか手掛かりがないかと、調べているのだろう。さらに孝治もいっしょになって小瓶をよく見ると、表面にラベルらしき貼り紙が残っていた。しかもその紙には御丁寧に、『睡眠薬{すいみんやく}』と表記されていた。

 

「これって、でたん嫌味やねぇ〜〜♨ こげんとんでもなかこつなっとうとに、こげな間抜けな商品名ば書いとうなんちねぇ

 

 友美の辛辣な言葉は、今の場合、薬の製造者に向けられているようだ。

 

「他になんか書いとらんね?」

 

 孝治は事態解決の期待を込めて、友美に再度尋ねてみた。

 

「これば飲まされたとき、野菜ジュースみたいな味がしたんやけど、なんか特別な野菜でも使こうとんやろっか?」

 

「ちょい待ち✋」

 

 友美がはやる気持ちの孝治を右手で制し、ラベルの横に書かれている、小さな文字に瞳を向けた。ところが孝治も覗いてみたのだが、ラベルの一部が破れていて、肝心な部分が失われていた。

 

「いっちょんちゃーらんわ☠ 成分表んとこがのうなっとうけ、材料がなんやらわからんちゃよ⛔ わたしが思うとやけど、野菜で性転換なんち絶対に有り得んことやけ、これはわたしもよう知らん、未知の薬草でできとんやなかろっか✋」

 

「未知の薬草けぇ……☁」

 

 友美の推論を聞いて、孝治は大きなため息をひとつ吐いた。孝治も戦士の学校で、一応は薬草などの『いろは』を学んではいた。しかし、性転換に効く(?)薬草の類など、習った覚えはもちろん、噂で耳に入れた記憶もなかった。

 

「あっ、ここんとこに残っとう紙に、なんか書いとうばい!」

 

「なんがね?」

 

 落胆しかかっている孝治を脇に置いて、友美が唯一の手掛かりらしい、貼り紙の残り部分の文字を見つけてくれた。 孝治は無意識に、ツバをゴクリと飲んだ。

 

「な、なんが書かれとうとや?」

 

「待ちいな、今読むけ✍」

 

 孝治は思わず身を乗り出した。友美がそれを「しゃあしかねぇ✋」と右手で掃ってくれながら、ラベルをくわしく声に出して読み上げた。

 

「なんや? この薬は個人の体質により、副作用があるっち書いとうばい✎ しかも個人個人で症状が違うらしいっちゃけ、孝治の場合、それが性転換やったっち、言うことなんやろうねぇ☂」

 

「アホけぇーーっ!」

 

 とたんに頭のてっぺんまで、孝治は全身の血が上昇する思いを感じた。

 

「副作用でなしておれが女になってしまうんけぇ! こげなムチャクチャな話があるっちゃねぇ!」

 

 この場に人目は、友美以外にはまったくなし。だから孝治は遠慮も恥も外聞もなし。地面に仰向けとなって寝転がり、両手両足をバタつかせた。

 

「やおいかんなぁ〜〜☁」

 

 友美がそんな孝治を呆れたという感じの瞳で見つめながら、さらに付け加えてくれた。孝治にとっては、あまり有り難くない補足説明を。

 

「確かにほんなこつムチャクチャな話っちゃねぇ☢ そうかてわたしが思うっちゃけど、副作用んこつ飲ませた魔術師かて、個人差でなんが起こるかなんち、いっちょもわからんかったやなかろっかねぇ☁ とにかく孝治ば眠らせることしか、頭になかったんばい、きっと⛑」

 

「えっ? なして?」

 

 孝治は駄々っ子みたいなバタバタを、ピタリと停止させた。友美の推論が鋭いトゲとなって、(大きくなっている)胸にブスリと突き刺さったからだ。

 

 だからと言って、腹の虫は全然収まらなかった。

 

「そげなん、早い話が無責任っちゅうもんばい! こげんなったら早ようあの魔術師ば捕まえて、元に戻る方法ば白状させるしかなか! 今度はもう、情けも容赦もなしやけね!」

 

 もはやフェミニストの信念も返上。自称だけど。とにかく強い決意を(大きくなった)胸の中で燃え上がらせ、孝治はこのときもバネ仕掛けのようにして、地面からパッと飛び上がった。

 

 ところがそこへ、友美がまたまた、水を差すセリフを献上してくれた。

 

「まあ、なんとか捕まえることができたかて、本人がこげんなるっち思わんかったっち言うたらきっと、それまでやね☠」

 

「な、なんね! まだなんかあると!」

 

 孝治のグラグラな思いは、さらに大きく深まった。しかし、友美がこれくらいの怒り表現で動じないことも、孝治がとっくに承知のうえだった。

 

 その友美が言ってくれた。

 

「だって、そん魔術師が戻る方法ば知っとるのかどうかもわからんし、これがもし裁判になったかて、被告の不可抗力が認められるかもしれんとよ⛹ わたしは薬について、よう知りませんでしたってね☠」

 

「もう、よか!」

 

 これ以上、深い山の中で友美と議論を交わしても、解決策など出ようはずもなし。あとに残った方策は、孝治の頭にひとつしか浮かばなかった。

 

「それやったら早よう北九州に帰って、うちの店長に相談するしかなか! 店長なら物知りやけ、なんかできるんやなかやろっか!」

 

 根拠など、なにもなし。とにかくあせりの極致にある孝治は、川の下流方向に、早足で駆け出した。

 

「こればっかりは店長でも、解決できんっち思うっちゃけどねぇ……⛨」

 

 などと背中でつぶやく友美に、もはや振り返ることもなく――いや、あった。

 

「あっ、ちょい待ち!」

 

「な、なんね?」

 

 いきなりうしろに振り返った孝治に、友美は大きく瞳を開いていた。孝治はそんな友美に、自分の大きくなった胸の部分を堂々と見せつけた。それから、ひと言。

 

「胸甲ば外したまんまやったし、前のがもう使えんけ、友美の貸してくれんね?」

 

「わたしのけ?」

 

 再び友美の眉間に、小さなシワが寄った。だけど友美も、事情がわかりすぎるほどに、よくわかっていた。

 

「ま、まあ、そげなおっぱいば世間に出したまんまで、人ん多か街道なんち歩けんけどねぇ……⛇⚠ しょんなかねぇ、北九州に帰るまでやけね☠」

 

 そなどと、露骨に『困ったばいねぇ☠』を浮かべた顔で、友美が自分軽装鎧の胸甲を外そうとする。だが、すぐに大事な点に気がついたようだ。

 

「ちょっと! あっち向いとき!」

 

「うわっち! ごめん!」

 

 いきなりの性転換とはいえ、孝治の中身はしっかりとヤローである。孝治は赤い顔になった友美から怒られ、慌てて回れ右で背中を向けた。

 

 なお、友美の肩書きは魔術師なので、本来なら小鎧の類など、あまり必要でないはず。ただ、戦士である孝治と行動をともにする機会が多いので、必然的に軽装鎧を着用しているのだ。

 

「すまんね☻ 恩に生きるけ♡」

 

にもなかんこつ、言わんでよかっちゃよ♥」

 

 ペコペコと頭を下げながら、孝治は友美から胸甲を受け取った。これで友美は帰りの道中、革鎧の一部だけを残した、ごくふつうの町の女の子姿(青いジャージ風に、中ぐらいの女子用ズボン姿)となるわけ。

 

 孝治もその点に、すぐに気がついた。

 

「でもこれやったら、ある意味無防備の極みっちゃねぇ⚠ 帰りは安全な道ば通らんといけんばい⛑」

 

 友美もその辺の事情はわかっていた。

 

「そうっちゃけど、人通りん多かふつうの街道ば歩いたほうが、山賊みたいな野蛮な連中とは遭わんで済むんとちゃう? まあ、孝治は一応戦士で剣かて持っとうことやし、わたし自身も本職の魔術師なんやから、本当に危険なことになったかて、お互い実力で切り抜けることもできるっち思うっちゃけどね✌✌」

 

「そこまで自分の力ば過信して、ほんなこつ大丈夫やろっかねぇ☻?」

 

 友美の自信満々なセリフに、孝治はなんだか楽観と緊張が、半々ずつ脳内に同居しているような気持ちになった。

 

 それはとにかく早速で、孝治は友美の胸甲を装着しようとした。そこで孝治は、極めて重大な問題点に気がついた。

 

「だ、駄目ばい!」

 

「どげんしたと?」

 

 孝治の突然のとまどいに、友美がいかにも意表を突かれたような顔になった。孝治はその問題点について、ズバリと答えてやった。

 

「友美の胸甲小さ過ぎて、おれの胸が入らんちゃよ!」

 

 古城に続いて二回目。再び友美のハリセン(出所不明)が、孝治の頭に炸裂! 派手で乾いたパシーンの音が、耶馬渓の山中全体に木霊した。


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