『剣遊記X』 第二章 許嫁と玉の輿。 (8) 無論、孝治から察知されようがされるまいが、それは美奈子の関知しない話であろう。それよりも美奈子は、今になって気がついたご様子。これまで魚町の影に隠れていたとしか思えない人物に、切れ長の瞳を向けていた。
「おや? そちらにおわすお方はもしかしまして……うちとご同業でおますんかいな?」
しかも今ごろになって声をかけているのだが、確かに無理はない話かもしれない。なにしろ今の今まで、存在感がまるで皆無。これで美奈子と同じ魔術師専用の黒衣姿でなかったら、恐らく一生、気にも留めなかったに違いなかろうから。
言わずと知れた小心魔術師――裕志である。
「あっ……ど、どうも、初めまして☺」
裕志が心底から恐縮そうにして、美奈子にペコペコと頭を下げた。
「あっと、そう言えば……そうっちゃねぇ★」
孝治もこのときになって、今まで意識もしなかった意外な事実に気がついた。
「裕志と美奈子さん……こちらもきょうが初対面になるっちゃよねぇ〜〜♥」
お互いに未来亭の店子であり、美奈子の言うとおり、同業の魔術師である。それなのに美奈子と裕志は仕事や遠征などで、きょうのきょうまで一度も顔を合わせたことがなかったはず。
こうなると、ふたりを仲介する役目は、必然的に孝治へと振られる話の展開となるだろう。
「じゃあついでになるとやけど、紹介しますっちゃね☆ ここにおるんはおれの同期で、魔術師やっとう牧山裕志っちゅうと……それときょうはおらんとやけどぉ……♪」
「牧山はんでおますんかいなぁ!」
孝治の紹介が終わらないうちだった。急に美奈子が、甲高い声を張り上げた。きょうはつくづく、美奈子がよく驚く日である。
「そ、そう……牧山ぁ……裕志……くんです✍ 知っとうと?」
真にもって大袈裟としか思えない、美奈子の過剰反応。孝治のほうこそ、瞳がパチクリの有様となった。
「知ってるもなんもあらしまへんで!」
だけど女魔術師――美奈子は、そんな孝治に構わず、一気に声をまくし立ててくれた。
「牧山家といえば、日本の魔術師界における、名門中の名門やおまへんか! そんな所の御曹司が、こないな街中のこないな酒場の片隅におられはるなんて、うちとしましたことが大変な不覚どしたわ!」
「ほう♪ 裕志の家っち、そげん立派な家柄やったとね☝」
しばし美奈子に見取れていたらしい魚町が、感心している面持ちで、裕志にささやいた。もっともこの思いは、孝治も同じ。
「おれも知らんかったとやけど、裕志の家っち、そげん良かとこやったと?」
当然孝治は、魔術師界の家柄など知るはずもないし、もともと興味もなかった。だけど、身近にそのような人物がいたともなれば、これまた話は別だった。
しかし訊かれた裕志のほうは、なんだか自信がなさそうな感じでいた。
「う、うん……そげんみたい……☁」
だけど家柄うんぬんはともかくとして、孝治は裕志の、ある裏事情だけは知っていた。
「まあ、御曹司っちゅうのは知らんかったとやけど、裕志にゃあ上に三人の姉さんがおって、しかも一番上の姉さんがとっくに家ば継いだっち、前に言いよったっちゃねぇ☀ それで裕志は晴れて自由の身になっとうけ、未来亭でおれたちといっしょにおるっちゃね☆」
「それがなんやとおっしゃりはるんどすか!」
「うわっち!」
孝治の言わば、暴露話的解説を耳に入れても、美奈子はなぜか、俄然強気の態度でいた。
「うちは分家でも構いまへんのや! 名門の一角に名を連ねることができはるのなら、うちらごときに不満など、一片もおまへんのやで!」
「なんかすっごう、話が飛躍しちょう気がするとやけどぉ……☠」
「うん……ぼくもそげん思う……☁」
どうやら完全に、自己の制御が効かなくなっているらしい。そんな美奈子の剣幕に、孝治と裕志は本気で大きな危機感を抱いていた。それから次に出た、魔術師の弟子の下のほう――千夏の単純で不用意な発言が、事態のさらなる悪化を招く結果となった。
「美奈子ちゃん、すっごいですうぅぅぅ♡ 千夏ちゃんもぉ知ってますですけどぉ、これってぇ牧山家さんちへのぉ『玉の輿』さんですうぅぅぅ♡」
「のあんですってええええええええええええっ!」 (C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |