『剣遊記W』 第四章 激! ワイバーン捕獲死闘編。 (1) 湖にはワイバーンの姿はおろか、影もかたちさえも見当たらなかった。
だが水辺には、無数の足跡が残されていた。このような状況から考えて、ワイバーンがこの辺りを水飲み場にしているのは、確かに明らかだと言えた。
「村の長老が言ったことに、間違いはあらへんようでんな✌」
自分が仕入れた情報が、ほぼ正確だった話の展開。そのためか沖台の口調には、かなりの安堵感が混じっていた。ちなみにこの場とは関係のない話であるが、沖台の顔面は昨夜のケンカで、見事ボロボロの有様。
「そげんみたいっちゃねぇ♥」
さらに沖台に応じる孝治も、左目の周りが真っ黒けの状態。なぜなら孝治もけっきょくは乱闘に巻き込まれ、おまけに逆上した相手から、きついお返しをちょうだいされた格好であるからして。
また裕志も、同じような顔(こちらは左のほっぺたが腫れている)。
「女性がいっちゃん大事にしちょう顔ばしばくなんち、超最低な男たちっちゃねぇ♨」
昨夜の修羅場にはいなかった友美も、今朝になって孝治から話を聞き、大いに憤慨していた。孝治は『まあまあ☻』といった感じで、そんな友美をなだめてやった。
「まあ、あいつらかて酒の飲みすぎで前後不覚になっちょったけねぇ☇ それにおれかてしっかり仕返ししてやったけ、今さら恨んでもなかけどね✌」
ここで昨夜の記憶。修羅場にてきつい一発をいただいた孝治は、またたく間に相手に劣らぬ逆上ぶりを発揮したらしかった。
『したらしかった』という理由は、自分自身の記憶が、いまいち曖昧。すべては沢見や沖台から、あとになって聞いた話であるからだ。
それはとにかく、孝治はただちに荒生田や沖台と連携。三人の戦士くずれどもをしばき倒したらしい。
またこれも、あとで聞いた話。そのとき反則で、椅子やテーブルなどを使ってしばきまくり。相手を撲殺寸前まで痛めつけたという。そのついで、やり過ぎで博打の賭けが不成立になったやないかと、沢見から怒られた顛末も、ここに小さく付け加えておく。
「ひっさしぶりに思いっきり大暴れしたんやけ、胸がスカッちしたっちゃね♡ たまには破目ば外すんも、いいもんっちゃねぇ♡」
やせ我慢で腫れた左目を見せないようにしながら、孝治は友美に笑顔を向けた。
白い前歯もキラリと光らせたつもりで。
そのついで、孝治は沖台に尋ねてみた。ふと浮かんだ、ひとつの疑問を。
「そげん言うたら和秀さん、最強の武器ば持っとうくせに、きのうのケンカでそればいっちょも使わんかったっちゃねぇ☞ どげんして?」
「最強の武器って、これのことやろ☛」
「そうそう♐ 」
孝治の質問に、沖台が自分のサソリ尾の先端を、前に突き出してくれた。
孝治はそんとおりとうなずいた。サソリの毒を相手に見せつければ、それだけでもケンカの展開を有利にできると、孝治は思ったのだが。
「まあ、それはやな……☁」
半分苦笑を混ぜた感じで、沖台が答えてくれた。
「おれはこう見えても、ケンカに卑怯な手は使わん主義なんや✄ やからきのうのケンカでは、しっぽは封印しとったっちゅうことやねん☠」
「なるほどねぇ〜〜✍」
なんとなくもったいなかねぇ――と思いつつも、沖台の考え方は、孝治にも納得ができた。
実際に、ふつうの人間相手でこの禁断の武器を使えば、確かに穏便な結果とはならないであろうから。
一方で涼子は、ここまでは黙って孝治たちの話を聞いていた。ところが急に今になって、孝治に話しかけてきた。質問内容は、別方面であったが。
『あたし、そげんとより不思議に思うとうことがあるっちゃけどぉ……✐✑』
「不思議ぃ?」
昨夜は宿屋から外出。付近の山や村を飛び回っていたという涼子。そんな幽霊少女が、現在けっこう真面目そうな顔で湖を見張っている荒生田に、ある種珍しいモノを見るような目線を向けていた。
その荒生田も例外なく、顔面右半分が、見事に腫れあがっていた。
涼子の訊きたい疑問がいまいちわからない孝治も、荒生田に瞳を向けた。
「いったい先輩が、どげんしたとや?」
涼子はもったいぶらずに、孝治にはっきりと答えてくれた。
『荒生田先輩が、きのうはいっちゃんよう大暴れしたっち言うたよねぇ☞ やったらどげんして、先輩のサングラスが割れちょらんと?』
「…………☁」
涼子の問いに、孝治は答えられなかった。
そんな風に言われれば、荒生田はいつも必ず、ガラス製の黒いサングラスをかけている。それが今になって思えば、昨夜のあれほどの大乱闘のあとだというのに、まるで無傷のままである。
恐らく涼子もそんな感じで、胸の中にふとした疑問がふくらんでいたのだろう。
『例えば先輩ってぇ、メガネの交換ば服ん中にいっぱい隠し持っとうとかぁ……✍』
「い、いや……そげな話は聞かんとやけどぉ……✁✃」
孝治は返答に困った。考えてみれば先輩である荒生田との付き合いも、けっこう長い年月になるはず。それなのにきょうのきょうに到るまで、先輩が自分の商標登録ともいえるサングラスを交換する場面など、実は孝治自身、一度も見た覚えがなかった。
さらに今まで、気づきもしなかった。どんな修羅場を越えたあとでも、メガネにひび割れはおろか、かすり傷ひとつ入った試しがなかったことを。
『あのメガネもやっぱり、魔術のアイテムなんやろっか?』
涼子のさりげないつぶやきにも、孝治は弱々しく頭を横に振る動作しかできなかった。
「まさかやねぇ……でも、言われてみたら……今んなって、おれも不思議っち気になってきたっちゃね✑✒ 今度チャンスがあったら、先輩に訊いてみるけ✍」
もっともあの荒生田先輩が、後輩の疑問に真面目に答えてくれるなんち、おれには到底思えんけどねぇ――と、孝治は内心で苦笑した。
またこれは、端で聞いていた友美も、孝治と同じ考えのようだった。
「荒生田先輩が正直に話してくれるなんち、わたしには思えんけどねぇ☠」
友美の瞳はどちらかといえば、少し笑っているように、孝治には見えた。そこへ涼子が自分の口元に、右手人差し指を立てた。
『しっ! ふたりとも静かに!』
自分が言いだしっぺのくせして、孝治と友美を黙らせてくれた。
本来ならばこの注意は、友美が言うべきセリフの先取りであろう。ついでに涼子自身は、(ほんとにしつこく繰り返すが)まったく黙る必要はなし。それよりもなにかの到来に、涼子は気がついたらしかった。
「やっとお出ましのようやで☝☝」
それから涼子が気づいた異変とやらに、沢見も気づいたようである。その声音には、緊張感が大いに満ち満ちていた。
その後、もはや誰ひとり、ひと言もしゃべろうとしなかった。
湖にワイバーンが飛来したのだ。 (C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |