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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (5)

 翌日、関門海峡は波静か。潮流の強い海峡で、このようなおだやかな日は、とても珍しいと言えよう。

 

 その海峡の西方に浮かぶ、猫の額ほどの小さな島――巌流島(正式名称 船島{ふなしま})は、北九州市からは対岸である山口県下関市寄りの海上に位置していて、行政的には山口県の管轄に属している。

 

 そうは言っても、潮流さえおだやかであれば、双方からの往来に不自由はなかった。

 

 潮の流れが激しい壇ノ浦は、巌流島よりももっと北の方向であるし、ふだんは両岸の漁師たちが自由に上陸をして、魚網を干したり魚の干物を作ったりするのに(野良猫がいないので)、最適の場となっていた。

 

 海峡沿岸の住民にとってこの島は、隣り近所がつどい合う、井戸端会議の場所でもあるのだ。

 

 だがきょうに限って、島の雰囲気は一変していた。理由は砂浜に大がかりな日除けのテントが張られ、そこに北九州、下関両市の幹部や衛兵隊の重鎮たちが用意された丸椅子に腰かけ、偉そうな態度で踏ん反り返っている状況となっていた。

 

 彼ら面々の中にはもちろん、北九州市衛兵隊の隊長、大門信太郎の姿もあった。彼は自分の両側に、同隊の砂津と井堀を控えさせ、居並ぶ重鎮たちの中でも特に威張った顔をして、テントの真ん中にある丸椅子に鎮座をしていた。

 

 それもそのはず、周りの評判はともかくとして、大門自身はきょうのこの試合の段取りをつけたのはおのれの権威と力による賜物だと、固く信じて疑っていないのであるから。

 

 実際、近隣の名士などへの試合の告知状も、まるで自分が主催者のごとく、大門家の家紋入りで配られていた。

 

 真実は、これも大門の性格を利用した、沙織の作戦であったのだが。割と自己顕示欲と権勢欲の強い大門は、この試合を主催することによって、おのれの名声が高まる結果に期待を寄せていた。

 

 さて、そのような思惑はしばらく脇に置いといて、大門が海峡に目を向け、怒鳴り声を張り上げた。

 

「遅いっ!」


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