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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (3)

 静かに時が過ぎていく。

 

 やがて、閉じているカーテンの隙間から差し込む陽{ひ}の光が、だんだんと薄く弱くなってくる。

 

 このときを見計らっていたかのように板堰は瞑想をやめ、おもむろに目を開く。

 

「そろそろ夕飯にしょーかいの☛ 千恵利もたまにはどーじゃ?」

 

 何時間も坐禅を組んでいたというのに、まったく足がしびれている様子もなし。板堰がベッドで寝ていた千恵利を揺り起こす。しかし千恵利はベッドに横たわったままで、頭を横に振るだけ。

 

「あたしはええんよ✋ 魔神はなんも食べへんでも、大地の精気を吸収して生きていけるさかい……✊」

 

「……そうじゃったな☻」

 

 板堰は、これ以上千恵利を誘うのを躊躇した。これは越えたくても越えられない人間と魔神の壁を、大きく痛感するときでもあった。

 

(いつん日か……千恵利といっしょに飯でも食いてーもんじゃのぉ☕)

 

 それからひとりで部屋から出ようとドアを開け、廊下に一歩踏み出した。そんな板堰の目に、リザードマンの押しかけ弟子――大介の姿が写った。

 

「おっ、なんじゃ?」

 

 大介は中型剣を小脇にかかえて座った姿勢のまま、ドアの右横の壁に背中をもたれかけて眠っていた。それでもやはり、トレードマークのカウボーイハットはかぶったまま。ちょうどよいアイマスクとも言えそうだが。

 

「あらぁ? 大介くんやおまへんか☆」

 

 今の板堰の声で、千恵利も起きる気になったようだ。ドアからそっと顔を出し、熟睡している新弟子の顔を覗き込んだ。

 

「大介くんったら、ずっと守はんの警護しとったつもりなんやねぇ☞」

 

 千恵利がさらに顔を寄せ、真横でしゃべっても、大介はまったく目覚めようとはしなかった。とにかく完全に、睡眠の真っ只中にあった。

 

「剣の振り方ひとつ、よう教えんわしに、とっくに愛想尽かしとーって思うとったんじゃが……これじゃあもう、ほっとくことができんのぉ☻ 千恵利、手伝ってくれんかのぉー⛹」

 

 口元に苦笑を浮かべながら、板堰はよっこらしょっと、寝ている大介の体を壁からそっと離し、その両脇に自分の両腕を背後から差し込んだ。つまりうしろから、大介をかかえて起こすような格好。それでも目を覚ます様子は、まったくなし。また、男の体重でも平然とかつぎ上げる板堰の底力も、平均以上の腕力と言えるだろう。

 

 千恵利は最初、そんな板堰をうっとりの瞳で見つめていた。しかし、当の板堰からひと言言われ、はっと我に返った気持ちになった。

 

「千恵利も手つどうてくれんけーと言うとんじゃがのぉ✋ こいつを自分の部屋のベッドまで運ばんといけんけー⛽」

 

「あっ、はいはい! でも守はんも、ずいぶん変わってはるねぇ〜〜♡」

 

「おっと、大介のしっぽ、踏まんよう気ぃつけるんじゃぞ⚠」

 

「あっ、それもはいはいやね☻」

 

 少々の慌て気味になって、千恵利が大介の両足を持ち上げる。これは大介の上半身を板堰が持ち上げ、千恵利は下半身を担当している感じ。まさに魔神にふさわしく、板堰に負けない底力を、千恵利はその腕に備えていた。そのついでか、小悪魔的笑みも忘れない。

 

 足元にぶら下がる、リザードマン特有のしっぽに注意をしながらで。それからだった。

 

「わしのどこが変わっとんじゃ?」

 

 大介が借りている部屋(板堰の左隣りの個室)のドアを、器用にも使用中の右手を使って開きながら、板堰が振り返って尋ねた。千恵利はこれに、笑顔をふんだんに振り撒く感じで答えた。

 

「そやかて、大介くんが勝手にしとうことやさかい、それこそほっといてもええっち思うのに、こうしていろいろ世話を焼いとんやからぁ☺♡」

 

 板堰の顔の苦笑の色合いが、さらに大きく浮き彫りとなった。

 

「そんとおりじゃ✊ 確かにわしゃあ、こいつに『勝手にせえ』っち言うたけん⛽」

 

 部屋に入ってから大介をベッドに寝かしつけ、その上から毛布をかけながら、板堰は言葉を続けた。

 

「じゃけん、こいつが勝手にやったこと全部の責任を、このわしが負う義務ができたんじゃ⛑ わしの剣をこいつにどうやって伝えたらええのかようわからんのじゃが、たったひとりの弟子を、このまま粗末にはできんしのぉ……☻✊」

 

 本人の耳にはまったく入っていないのだが、板堰は大介を、すでに弟子として認めていた。この事実を知れば、大介はどんなに狂喜乱舞するであろうか。

 

「そうやねぇ〜〜♡ これはふたりでおとろしゅうほど、じっくり考えんといけんのやねぇ〜〜♐」

 

 それこそ両腕を組んでじっくりとつぶやいたあと、千恵利は大介が瞳の前にいるのも構わず(一応寝ているけど)、いきなり板堰に抱きついた。

 

「あたし、そんな守はんが仰山好っきやねぇーんやわぁ♡」

 

「お、おい! 大介が起きるじゃろ……うっ!」

 

 真に剣豪らしくもなく、意表を突かれて半分慌てている板堰。千恵利がそんな板堰のくちびるに、半強引的で自分のくちびるを重ねてしまう。

 

 伝説の剣豪も、これには形無しと言ったところか。


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