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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (25)

 そんな大騒ぎの中だった。千恵利が倒れている板堰にすがって、わんわんと泣き叫んだ。

 

「守はぁーーん! お願いやさけー、目ぇ覚ましてえなぁ! 死んじゃ嫌やぁ! あたし、守はん以外の誰からも、剣として使われとうないんやぁ!」

 

 このあまりの号泣ぶりで、孝治たちも――さらに一番弟子を自認する大介さえも、なかなか師匠の介抱に取りかかれない有様となった。

 

 おまけにこれらの光景は、当然ながら荒生田の三白眼にも入っていた。

 

「おおっ! あんときのパッキンねーちゃんばぁーーい!」

 

 この男――荒生田が一度拝見をした女性をよもや忘れるなど、たとえ全宇宙最後の日になっても、絶対に有り得ない。こいつの頭は、千恵利が魔術で自分を宙吊りにしてくれた苦い過去など、一切関係なし。それよりも彼女の全裸を拝んだ思い出(?)のほうが、遥かに巨大な印象として残っているようなのだ。

 

しかも元々荒生田は、どのようなむごい仕打ちに遭わされても、加害者が女性(さらに美人)でありさえすれば、復讐心などこれっぽっちも湧かない体質なのである。

 

「先輩っ! ここは早よ引き揚げましょう!」

 

「へっ?」

 

 従ってこのとき、荒生田が裕志のセリフで我に返った事態は、もしかすると異例中の異例だったのかもしれない。恐らく無我夢中の心境であるときに、いきなり現実に戻る言葉を投げつけられたのだから。

 

「あ、ああ……ちぇっ☹ すっげえ惜しかっちゃねぇ☻」

 

 とにかく急いで金髪美女に飛びつき、それから押し倒したい欲望を、無理に我慢のご様子の荒生田にとって、剣が人に変わった異常な出来事など、まるで興味はないのだろう。それよりも千恵利が美人でいるほうが、ずっとずっと重要なのだ。

 

それから明らかに後ろ髪を引かれている感じで、荒生田が裕志の待つボートに飛び乗った。勝負が終われば、もう巌流島なんぞに用はない――と言わんばかりに。

 

「ゆおーーっし! いつか君の名前と住所ば訊いちゃるけねぇ♡ さらば、パッキンのねーちゃんよぉ♡」

 

 千恵利にあからさまな未練を残して投げキッス(^ε^)-Chu!!を連発しながら、荒生田と裕志が島をあとにした。


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