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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (18)

 やや拍子抜けはしたものの、それでも戦士と戦士の一大決戦である。

 

 テントの中にいる沙織や大門の面々。それに浜辺で固唾を飲んで見守る孝治や大介たちも、一世一代の大勝負に目も心も奪われ、誰もが声を出すどころか、息もできない有様となっていた。

 

 そんな緊張の坩堝{るつぼ}と化している巌流島の砂浜で、ガキンッ バキッッと、木刀と木刀による凄まじい激突が続いた。

 

「正直言うっちゃけどぉ……荒生田先輩って……こげんも強かったんやねぇ……

 

 本音を白状すれば、孝治はこの闘いが、一瞬の内に板堰の勝利で決まるものと思い込んでいた。

 

 決して先輩を見くびっているわけではなかった。だがしょせんは、地方のお山の大将と、片や全国的知名度抜群である英雄の差が、このような偏見を生み出していたのだ。だから孝治たちも成り行きとはいえ、わざわざ島まで同伴して上陸した理由は――世紀の決戦を見物したかった好奇心はもちろんであるが、負けた荒生田先輩を担架で運ぶ人手がいるだろうと、あらかじめ考えての前準備でもあったのだ。

 

 しかし、荒生田を多少見直したところで、最終勝利者が板堰であろう予測は、今時点で誰ひとり揺るいではいなかった。現に決着こそなかなか着かないものの、闘いを優勢に押し進めているほうは、明らかに板堰の側であるからだ。

 

 このとき砂浜にヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥッと、一陣の風が吹いた。だけど風ごときで、勝敗の行方は変わらない――と、言いたいところだが、少し事情が違った。

 

「うっ!」

 

 風はどういうわけだか、板堰だけに向かって集中。巻き上げた砂煙を、剣豪の顔に吹きかけた。

 

「くそおっ! ひょんな風じゃあ!」

 

 一瞬とはいえ、板堰は砂によって視界を妨げられた格好。対する荒生田は、いつもかけているサングラス😎のおかげで、砂の邪魔をまったく受けずに済んだ。さらに付け加えれば、ここで相手の失策を見逃すヘマも、決して犯したりはしなかった。

 

「隙ありぃ!」

 

「うぬうっ!」

 

 人の窮地につけ込む策が、得意技中の得意技だという荒生田である。ここぞと木刀をガツッと、板堰の木刀に打ちつけた。

 

 間一髪! それを巧みに左へと受け流す板堰。これと同じ間に沙織が無言で右手を上げ、なにかに向かって合図を送っていた行動には、全員が闘いに夢中となっていたため、誰ひとりまったく気づかなかった。

 

 しかも沙織はこのとき、なぜか快心の笑みを満面に浮かべていた。


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