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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (16)

 そんなこんなで、孝治たちの見守っている前だった。裕志が漕いでいるボートが、ついに砂浜へ乗り上げた。このときドシンと、軽い衝撃が走ったようだが、荒生田は木刀を堂々と、なんと二本も両手に構えたままの格好でいた。ただ、相変わらず裕志を怒突いている様は、いつもの調子であったけど。

 

「くぉらぁーーっ! もっと上手に浜に着けんけぇーーっ!」

 

「す、すみましぇ〜〜ん☂」

 

 ここで孝治にとっては――いや、島にいる者全員に、意外な光景が展開された。

 

「遅いで、荒生田! これはわしをあせらさせて、剣をぼっけー乱れさせーとする策略のつもりけー!」

 

 今まで物静かだった板堰が突如怒声を張り上げ、荒生田の面前で灰色マントを風になびかせたのだ。

 

 さすがの剣豪も長きに及んだ荒生田の時間超過に、いくらか平常心を損ねていたのだろうか。

 

「いんや! そげんこつはなか!」

 

 孝治は考えた。この気迫も勝負師にとって、絶対になくてはならんもんやろうねぇ――と。次の板堰の言葉が、孝治の推測を確信に変えてくれた。

 

「そねーなことだとしちゃー、そりゃー無駄な企てっちゅうもんやけー! わしの剣にあせりはねー!」

 

 板堰は板堰なりに、ビッグマウス{トラッシュ・トーク 大口}で対戦者ではなく、自分自身を発奮させているのだ。しかも剣豪のベルトには、例の『魔剣チェリー』が装着されていた。だが現在、彼の手にある物は、荒生田と同じような木刀である。それも闘いに備えて、板堰自身の手で念入りに削り上げていたと、あとで大介から聞かされた、剣と同等の破壊力を秘める、愛用の逸品であるらしい。

 

 対する荒生田も、同様に木刀を備えてはいた。しかし、それはいかにもたった今ナイフで削って、急きょ間に合わせで作ったとしか思えない、粗雑なシロモノだった。

 

 先輩は本気で、これば使って戦うつもりなんやろっか――孝治は自分の胸に、新たな疑問の浮上を感じた。

 

 そのような根本的問題は脇に置いて、一方的に板堰から攻められっぱなしの荒生田が、ここでついに反撃――ならぬ言い訳を展開した。それも緊張しきった決闘の場には絶対にそぐわない、思いっきり軽めな調子で。

 

「いやあ、悪かっちゃねぇ☺ ここまで来る途中でちょっとばかし釣りばしたら、これがもう大漁大漁でやめられんようなってしまったと☀ やけん釣れすぎていったん港に帰って市場で売りよったけ、こげん遅うなってしまったっちゅうわけっちゃね☆ ごめぇ〜んやね♡」

 

「…………♋」

 

 これには板堰も、目が点の状態。ついでに島にいる者全員、開いた口がふさがらない有様だった。

 

 それからしばらくの時間を要して、ようやく板堰が気を取り直した様子。

 

「もういいけ! 理由は問わん! それより日没が近い! いざっ、勝負っ!」

 

 板堰が木刀を大上段に構え、今にも荒生田に討ちかかろうとした。その寸前だった。当の荒生田がいきなり剣豪に向け、右手人差し指を突きつけ、大声で啖呵を張り上げた。

 

「板堰守っ! 敗れたりぃ!」


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