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『剣遊記Y』

第五章 巌流島の決闘。

     (12)

 孝治はこのとき、ガクンッと頭を落とす失敗をやらかしていた。

 

「うわっち!」

 

 気をつけてはいたのだが、やはりいつの間にか、眠気で舟を漕いでいたようだ。

 

「……せ、先輩……来たと?」

 

 思わず周囲に尋ねてみたが、誰も答えてはくれなかった。

 

 見れば友美は、とうとう孝治を膝枕にしての熟睡中。秀正と正男も砂浜にゴザを敷いて寝転がり、むしろ開き直っている感じで、大の字となって寝ついていた。

 

「……呑気な連中っちゃねぇ……☁」

 

 人のことは言えない身の上など承知のうえだが、これが孝治の正直な思い。ついでに涼子の姿も見当たらないが、たぶん気まぐれな幽霊である。あまりにも暇なものだから、どこか遠くにでも行ってしまったのだろう。これじゃあ先輩が来て決闘が始まったかて、いっちゃん肝心な場面ば見逃す破目になっちまうばい――と、孝治は思うのだが、相手は幽霊。こればかりは捜してやりようがないに決まっていた。

 

「まっ、よかっちゃね☆」

 

 あとで文句たらたら言われそうやけど、できんもんはしょうがなか☢ 気を取り直して孝治は、板堰のほうに顔を向けてみた。しかし彼が対戦者を待つ姿勢は、初めとまったく変化はなし。静かに瞑目をして、海の方向に顔を向けているだけだった。

 

 その横では大介が、焚き火に薪を放り込みながら、師匠である板堰の右耳に、そっとささやいていた。

 

「先生……どげん考えても遅すぎですっちゃよ☹ この決闘は、もう無効なんやなかですか?」

 

 しかし弟子である大介の問いに、板堰は両目を閉じたまま、淡々と答えるだけだった。

 

「いや、夕刻まで、まだ時間があるじゃろう☕ 闘いの決着は、まだ着いとらんのじゃけー⚔」

 

「でも、先生ばこげえ待たせるなんち、先生ば馬鹿にしちょりますっちゃ!」

 

 大介のほうが、むしろ憤慨丸出しであったが、板堰はやはり、終始冷静な態度を貫いた。

 

「そんなにでーれーおらぶな⛔ 闘いは常に、平常心をごじゃくそしたほうの敗北で終わるんじゃ☠ そして、その闘いは、もう始まっとう☞」

 

「はい……☁」

 

 大介が大きく頭{こうべ}を垂れ、いかにも生真面目そうな姿勢で、板堰の言葉に聞き入った。まさしく師匠の格言のひとつひとつを、じっくりと胸の中に刻み込むかのようにして。

 

「う〜ん、心に沁み入るええ話っちゃねぇ☺✍」

 

 うしろで剣豪と弟子の会話を聞いていた孝治も、悪乗りで深々とうなずいた。こうでなきゃ、やっぱし剣豪っち言えんもんちゃねぇ――とも思いながら。

 

「ったくぅ〜〜、荒生田先輩に板堰先生の爪の垢でも煎じて飲ませたいもんばい☛☺」


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