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『剣遊記\』

第一章  岸壁の給仕係。

     (9)

 桂は早朝から北九州港の埠頭で、脇田永二郎{わいた えいじろう}が乗る大型帆船の帰港を待ち続けていた。

 

 長い航海から戻る愛しの人を、岸壁で迎える若い恋人――そういった感じの、実に絵となる光景で。

 

 カレンダーに帰港予定日を記入。指折り数えて待ちわびた――とても、とても大事な日。

 

 本来ならば早朝で、朝一番からお店での仕事に就かないといけないところだった。それでも事情を知っている黒崎店長や同僚たちが、快{こころよ}く桂を港へ行かせてくれた。

 

 みんなの心遣いが、本当にうれしかった。

 

 未来亭に勤めて、心から良かったと思った。

 

「永二郎さんが帰ってこーわいたら、土産話をがいにたくさんみんなに聞かせていかんよねぇ☺ ほやけん、ふたりだけの一夜はちょっとお預けだけど、それくらいは我慢せんといけんぞな♡ でも、そのあとは……うふっ♡」

 

 港に足を運ぶずっと前から、桂は永二郎と楽しく時を過ごす夢に胸をときめかせていた。だが、時間の経過とともにうれしさの中に、一抹の不安が込み上がってきた。

 

「……遅いぞなぁ……☁」

 

 さらに桂の不安を煽るかのようだった。港の周辺で港湾ギルドの職員や人足たちが、慌ただしく走り回り始めていた。

 

「……なんぞなもし?」

 

 一抹の不安が小さな胸の中で増幅しつつある桂は、ギルドの事務所へと足を向けた。そこでドアの右横にある小窓から、そっと中の様子を覗いてみた。

 

 その石造りである建物の内部でも、職員たちがなにやらざわついていた。しかも、彼らが交わしている会話の中に、桂を驚愕させる内容が含まれていた。

 

「第五開陽丸が拿捕{だほ}されたっちゃぞぉ!」

 

「なんてこったあ!」

 

(第五開陽丸っ!)

 

 桂は自分の耳に自信があった(桂の聴力は抜群の性能。理由はのちほど)。だから聞き間違えるなど、絶対に有り得ないはずなのだ。なぜなら『第五開陽丸』と言えば、それは永二郎が乗って働いている帆船の名称であるからだ。

 

 一方で部外者(桂)に聞かれているとも知らず、職員たちの狼狽しきった会話が続いていた。

 

「拿捕っち、どこの海域でやぁ?」

 

「瀬戸内海の東の海上ばい☛ あそこは最近、海賊どもが凶暴化して、海上衛兵隊かて手ぇ焼いちょったそうやけど……☠」

 

「そんでとうとう、うちのギルドの船もやられたっちゅうわけっちゃね☢ 乗組員の安否はわからんとね?」

 

「それが全員わからんと☃ ひとり残らず殺されるか……あるいは奴隷にされちまうかやけどなぁ……☢」

 

 桂の両足が、ガタガタと震えだした。また無意識に、その場でひざまずいてもいた。

 

(嘘じゃけん!)

 

 大声で叫んだつもりの現実否定意識は、ノドに詰まって外に出ようとはしなかった。気がつけば放心状態のようになって、涙で濡れきった瞳のまま、未来亭に帰り着いていた。それが由香や孝治たちの顔を見たとたん、まるで堰が切れたかのように、号泣の洪水を始めたのだ。


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