『剣遊記\』 第一章 岸壁の給仕係。 (4) 「ふたりでなんかテンション上がっちょうとこ悪いとばってん……もう開店しとうとばい♐☻」
確かに変な話題で盛り上がっている(?)孝治たち三人のテーブルに、給仕係の七条彩乃{しちじょう あやの}が声をかけてきた。
なお、三人とは記したものの、彩乃には真っ裸でいる涼子の姿は見えていない。だから彩乃はあくまでも、孝治と友美向けで話しかけてきたのだ。
「そろそろお客さんば増えてきようことやし、たいがいぶりにして自分の部屋に帰ってくれんね✄☻」
一応ここは店内なので、彩乃の口調はおだやかであり、なおかつ満面には笑みさえ浮かんでいた。
だけど、彼女の瞳は笑っていなかった。それどころか、生き血を求めて闇夜をさすらう吸血鬼{ヴァンパイア}のごとく、金色に光ってさえもいた。
いや、彩乃は本当に吸血鬼の一族。ただし、昼間に働いて夜になると棺桶に入って寝るという、かなりヘソ曲がりな性格の吸血鬼でもあるのだが。
「うわっち! ごめんごめん、悪かったっちゃね☠」
いつまで待っても席を立たない孝治と友美に、彼女なりに立腹をしたのだろう。別に吸血鬼が怖いわけではないが、女の子を怒らせれば、その実物の何倍も怖い。孝治と友美(と涼子)は急かされるようにして、窓際のテーブルから離れるようにした。見るとすでに、店内は常連の客たちで席がほとんど埋まり、給仕係たちがその間を右に左に走り回っていた。だけど、酒場が本格的に忙しくなる時刻は、毎日決まって夕方を過ぎてから。朝早い今のところは、走り方にもどこか、のんびりムードが漂っていた。
「あれ? 桂ちゃんがおらんみたいっちゃけど☛」
そんな走り回る給仕係たちの中に、ただひとり欠けている顔に気がついて、孝治はテーブルを布巾で拭いている彩乃に尋ねてみた。彩乃はテーブルを拭く左手を、休めないままで答えてくれた。
「桂ならきょうは休みばい♠」
孝治は『そうやったっけ?』の気持ちになった。
「ふ〜ん、確かきょうは早番っち言いよったちゃけどぉ……✍」
朝早くから夜遅くまでの営業を行なう未来亭は、当然の話ながら、従業員の早番遅番のシフトによる交代制を取っていた。
店に居着いて長い孝治は、給仕係たちの顔ぶれと勤務時間を、だいたいながら、いつの間にやら頭に入れていた。だけどもその記憶によれば、従業員である皿倉桂{さらくら けい}は、今週は早番だったはずなのだが。
彩乃はさらに、テーブル拭き作業を続けながらで、返答を続行した。
「桂やったら、今はおらんばい✈」
彩乃の返答は、どこかぶっきらぼうな感じがした。しかし、そのぶっきらぼうの中には、なぜか微妙な含み笑顔も滲んでいた。
孝治は重ねて尋ねてみた。
「おらんっち……どこ行っとうと?」
「あれぇ? 孝治くんは知っちょらんかったと? きのうわたしが教えてあげたとに✎」
「おれが知っちょうっち?」
まさに意表を突くような彩乃の再返答を受け、孝治は我ながら、あまり頼りにならない記憶の片りんをまさぐってみた。でもその結果が出るよりも先に、友美が孝治の左の耳に、そっと解答を吹き込んでくれた。
「孝治ったらぁ、忘れちょうと?」
「忘れたっち……なんをね?」
孝治は眉間にシワが寄る気分になった。もちろん構わず、友美は続けてくれた。
「きょうは桂の彼氏が、長い航海から帰ってくる日っちゃよ✌ 孝治かてきのうの晩に聞いとったっちゃろうも✍」
「きのうの晩……うわっち! そうやったちゃね☆」
口では思い出した振りを演じながら、実は完ぺきに忘れていた孝治だったりする。
(我ながら記憶力が悪いんは、筋金入りの重症モンちゃねぇ……☢)
ついでに脳内で自嘲も繰り返す。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |