『剣遊記\』 第一章 岸壁の給仕係。 (12) 「ええーーっ!」
「うわっちぃーーっ!」
友美と孝治はすぐに、桂の元へと駆けつけた。涼子ももちろん、いっしょに――である。
「ど、どこに永二郎がおるとぉ!」
「ほうじゃきん、あそこぉ!」
孝治のわめきに桂が港の東側――つまり正しい方向――関門海峡を右手で指差した。第五開陽丸は東方から入港する予定だったので、方角の点では間違いはなかった。しかし涼子は海峡の方向を見つめ、眉間にシワを寄せていた。
『船なんかなかろうも☹』
幽霊娘がいぶかる気持ちも道理。桂が右手人差し指で指し示す方向には現在のところ、一隻の船舶も見当たらないからだ。日頃は船の航行の多い関門海峡なのに、今に限って船舶が無いとは。皮肉といえば皮肉かも。
ところが友美と孝治はすでに、桂と同じ方角を、それぞれの右手でもって指差していた。
「そげんなか、あるとよぉ!」
「涼子はわからんのけぇ?」
だけども依然、涼子のみが蚊帳の外。これではもともと気が短い傾向のある涼子としては、まったく我慢がならないであろう。
『ええ加減にしてほしかっちゃよ! 船なんかちぃとも見えんやなかねぇ!』
「誰も船っち言いよらんけね☆」
『えっ?』
孝治のセリフで、涼子の瞳が点になった。孝治は駄目押しのつもりで言ってやった。
「よう見てん☞ あれやけ、あれ!」
孝治は改めて、再度右手で海峡を指差し直した。すると本当に言われたとおり、涼子が瞳をカッと開いて見つめ直した。
意外にすなおな行動っぷりであった。
この間、涼子の存在を知らない桂は、とにかく波先に見えるなにかを瞳で追う努力に、頭がいっぱいの様子でいた。だから孝治と友美の不自然極まるやり取り(幽霊との対応)にも、まったく気を回していなかった。
その問題はこの際問わずとして、しばらくすると波の合間からブシュゥゥゥゥゥゥッと、突然大きな潮が噴水のように吹き上がった。
『な、なんねぇ、あれぇ?』
さすがのお転婆幽霊娘も、瞳が点どころではない様子。口がポッカリと開いたまま――といった感じの顔になった。だけど噴水の正体については、すぐにピンときたようだ。
『あれって……本で読んだことあるっちゃよ! でもそれが、こげな近場ん海で見られるなんち、思いもせんかったけどね!』
涼子の驚きも無理はなし。まさかクジラの潮吹きが、港で拝見できるなどとは。それこそ神様でも考えつかない珍事件であろうか。
だが、涼子以外の三人は違っていた。
特に桂は。
「やっぱり永二郎さんぞなぁーーっ! 帰ってきたんやがぁーーっ!」
ついに感極まったのか。桂が再び大粒の涙を、両方の瞳からポロポロと雨のように流していた。これに連鎖反応したようである。涼子も大声を張り上げた。
『ああーーっ! 思い出したっちゃあーーっ!』
何回もしつこいけれど、これが聞こえる者は、孝治と友美のふたりだけ。
「やっと思い出したんけぇ☻ あんときんことばねぇ✍」
幽霊のくせに記憶力悪かっちゃねぇ〜〜と、根拠もなしに頭で決めてかかりながら、孝治も『あんとき』の出来事を、自分でも脳内に思い浮かべてみた。もちろん幽霊とはいえ、人(今の場合孝治)の内心までは見抜けない涼子が(ある意味とても幸い)、瞳を輝かせてうなずいた。
『うん! ほんなこつ今んなって思い出したっちゃ! ずっと前、孝治が荒生田先輩ば海に蹴り落としたとき、すぐ海に飛び込んで先輩ば助けたんが永二郎やったっちゃねぇ! しかも、あんとき変身ばしちゃってからぁ!』 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |