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『剣遊記\』

第一章  岸壁の給仕係。

     (11)

 黒崎と勝美(と、もうひとりの謎の人物)が、ギルド事務所に詰めている間である。桂や孝治たちは、いまだ帰港をしない第五開陽丸の船影を求め、今帰るかもう帰るかの思いで、波止場から水平線の彼方を見つめ続けていた。

 

 ただし、第五開陽丸が帰ってくる方向は、関門海峡を通って東の海上から。従って西側の水平線が広がる響灘を眺めていても、まったく見当違いの方角になっている。

 

 北九州港はせまい関門海峡をはさんで対岸の下関{しものせき}港と対を成す、典型的な海峡の町。かって荒生田と剣豪板堰守{いたびつ まもる}が決闘を行なった巌流島も、この海峡に浮かんでいた。

 

 実を言えば、そんな間抜けを承知していながら、孝治は桂に、正しい方向を教える勇気が湧かなかった。その理由は彼女の気持ちが痛いほど、自分の胸にまで伝わってくるからだ。

 

 無論桂だって、自分が違う方向に瞳を向けている――それはわかっているだろう。

 

『桂ちゃんったら……いつまで海ば見ようつもりっちゃろうかねぇ……☁』

 

 孝治と付かず離れずでいる涼子も、もちろんいっしょに波止場にいた。当然幽霊の存在を、桂は知らないでいるだろう。

 

『あのまんまいつまでも潮風に当たりよったら、風邪引いちゃうばい⛔』

 

 それを言うなら涼子自身も、全裸で潮風に当たっていた。だから聞いている孝治と友美は、なんだかおかしな気分になってきた。

 

 実際に笑えば、とても不謹慎な場面であるが。

 

 もっとも、いくら冷たくても風は幽体をすり抜けるだけなので、涼子は風邪とは無縁の体質――いや、それ以前の話か。とにかくそんな妙ちくりんな内心を押し隠し、孝治は涼子に言葉を返した。

 

「……そりゃまあ、永二郎の船が帰ってくるまでに決まっとろうも……☹」

 

 友美も桂には聞こえないようにして、涼子に応えた。

 

「今、店長がなんが起こっちょうのか調べようけ、もうすぐなんかわかるっち思うっちゃよ★ やきー今は、それば待つしかなかっちゃね☛」

 

『じゃあ、孝治と友美ちゃんは、なしてここにおると? ただ桂ちゃんば見ようだけね✋』

 

「うわっち……お、おれはっちゃねぇ……なっ、友美✃」

 

「う……うん☁」

 

 真にもっともな指摘を涼子から突かれ、孝治と友美はそろって思わず口ごもった。確かによく考えてみれば、この波止場で孝治たち三人にできる仕事は、実際なにもないも同然なのだ。これではただの野次馬だと言われても、なんの口答えもできないだろう。

 

「こ、孝治は孝治なりに、桂のことが心配なんよ✐ わたしもやけど✊ やけん、そこんとこば察してあげて☕」

 

「そ、そうっちゃよ……だいたい涼子かて、ここについて来ちょうだけの……♨」

 

 友美のフォローもあって、孝治は涼子に反撃を試みようとした。そのときだった。

 

「ああっ! 永二郎さぁーーん!」

 

 水平線の彼方だけを見つめていた桂が、いきなり大きな声を張り上げた。


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