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『剣遊記V』

第四章 大捜査線開幕!

     (9)

 未来亭から東へ三十軒ほど先の通りに、市内でも指折りの規模を誇る宝石商がある。

 

 時刻は現在、深夜の日付けが変わる直前。もちろん従業員は、全員退社済み。だが、頻発している盗難事件への対策として、地下室の金庫は魔術で封印――つまり、合い鍵だけでは絶対に開かないようになっていた。

 

 無論金庫室そのものにも、魔術がかかっていた。それは宝石商の店主自らが特別な呪文を唱えない限り、やはり部屋のドアが解放されない形式であった。

 

 しかし魔術は、壁にまでかけられてはいなかった。

 

 そんな暗闇に包まれた金庫室。部屋の隅に置かれている大型金庫のうしろの壁から、最初は聴力に優れた者が耳を澄まさなければ聞こえないほどのカリカリカリという、微かな物音がした。

 

 その音がやがて、だんだんと大きくなる。さらに音域も広がって、カリカリカリが、ガリガリガリに。

 

 しかも一箇所から壁全体に。

 

 おまけにひび割れまでもが生じ始め、亀裂へと発展。カケラがボロボロとこぼれ落ち、壁に洞窟が形成されていく。

 

 そこから響いてきたモノは、キイキイという無数の小動物――ネズミたちが鳴く声だった。

 

 そのネズミの強力な門歯が、石の壁をまるで、紙のように噛みやぶる。

 

 たとえ封印の魔術がかかっていても、無限のネズミ軍団の前では、わずかばかりの抵抗にもなっていないだろう。ネズミたちは、そんなおのれの底力を熟知しているかのように壁の穴を広げ、金庫の大きさにまで拡大させていった。

 

「よっしゃ、こんくらいでよかばい☞」

 

 人の声がした。ネズミの知能がいくら予想以上に優れているとしても、人語をしゃべるなど、絶対に有り得ない。

 

 その声の持ち主が角燈{ランタン}を差し出し、ネズミが開けた大穴から、金庫室を照らし出した。

 

 部屋に誰もいないことはわかっていた。だからなにも遠慮する必要はなし。

 

 室内には金庫と並べて木製の机があり、その上には花瓶があった。その花瓶には青色のコスモスの花が飾られているが、そんな物に興味はなし。

 

「ふん! 大方ドアには魔術がかかっとんやろうが、こげなチャチな魔術なんかで防犯対策のつもりけ♪ 俺たちの今までの手口ば、衛兵隊のボンクラどもから聞いとらんかったとか☎」

 

 実際に魔術がかけられているドアを内側から照らしながら、声の主が嘲{あざけ}りの笑みを浮かべた。

 

 初めての犯行のときから、壁をぶちやぶる強引ぶりを見せつけていたのだ。それでも魔術だけで良しとする店側の対策の浅薄さが、実に愉快でたまらない――と言ったところか。

 

 これらの行動と言動ぶりから、今さら強調するまでもない。彼が今、世間を騒がせている怪盗団なのである。また、彼の足元にいるネズミたちは、人がいくら近づいても、決して逃げようとはしなかった。足を踏み入れれば踏まれないよう、左右にさっと散らばるだけなのだ。

 

 また、角燈の男の右肩にも、一匹のネズミが乗っていた。男はそのネズミに、声をかけた。人に話しかけるのと、まったく変わらないしゃべり方で。

 

「邪牙{じゃが}、おまえの部下どもは、ほんなこつ役に立つばいねぇ♡ どげなぶ厚い壁やろうと、あっと言う間に大穴ば開けてくれるんやけ☀」

 

「ちゅちゅっ!」

 

 ネズミが男に返事を戻すかのように、甲高く鳴いた。そのランタンの男とネズミのうしろから、続々と十数人ほどの人影が現われた。さらに続いて、背丈が常人の半分くらいしかない人影も、十人あまり。

 

「おらぁ! さっさと入ってこんけぇ!」

 

 激しい怒声を浴びながら、無理矢理金庫室へと連れ込まれていた。

 

「さあっ! おめえらはこれば運ぶんだよぉ!」

 

 彼らに下された命令は、重量過大な金庫をかつがされる激務であった。これに少しでもためらう素振りを見せると、情け容赦なくバシッと、皮の鞭が乱れ飛んだ。

 

「ききぃーーっ!」

 

 このとき彼らが上げた悲鳴は、人の発声ではなかった。しかし鞭を振る男は、彼らの人とは異なる特性に、まったく関知をしないようだ。

 

「グズグズすんじゃなかぞぉ! 時間がねえんだよぉ!」

 

 この威嚇に囚人としか思えない扱われ方の十人は仕方なく、総出で大型の金庫をかつぎ上げた。

 

 彼らの小さな体格でこのような苦役は、明らかに体力の限界を超えていた。

 

 そんなほとんど奴隷状態でいる彼らのうしろでは、角燈の男が別の男から話しかけられていた。

 

「親分、そろそろ引き揚げと行きやしょうぜ♠ どうせ金庫にゃ魔術の鍵がかかってやすが、なぁに、そげなん隠れ家に戻ってから、ゆっくり解錠すればいいことですから♬」

 

「そうやな♪」

 

 角燈の男――どうやら彼が、怪盗団の親玉であるらしい。その親玉が子分の進言にうなずくと、再び肩のネズミに声をかけた。

 

「邪牙も元に戻ってよかばい♫ ネズミどもに、もう用はなかけんな♦」

 

「ちゅちゅっ!」

 

 親分の言葉を受けて、ネズミが肩から足元にピョンと飛び降りた。すると着地と同時に、小さなネズミの体が、みるみると膨張。灰色の体毛が薄くなり、人の肌色に変化した。

 

 やがて金庫が部屋から運び出されたころには、背丈こそ低いが、立派な人間の姿になっていた。

 

「おらぁ、早よ服ば着らんねぇ☜」

 

「へへっ、すまんねぇ♡」

 

 たった今までネズミだった男――邪牙が、仲間から薄汚れた服を受け取り、素早く着用した。また、このときには金庫室にあふれるほどいた本物のネズミたちが、それこそ一匹残らず、クモの子を散らすように逃げ失せていた。

 

 これら一連の強奪作業が完了したところで、親分のドラ声が、角燈{ランタン}の灯りの中で響き渡った。

 

「よかや! 俺たちの故郷であるこの街での仕事も、今夜限りでお開きやけね! 衛兵隊どもも、いつまでも馬鹿やなかけんな! きょうの稼ぎは高飛びのお足代たい! しばらく海外にでも行くっちゃけねぇ!」

 

「へい、親分!」

 

 子分たちが一斉に、恭{うやうや}しく頭を下げた。それから先に行かせた金庫運びたちに再び鞭を振るいつつ、全員が急いで、ネズミが開けた大穴の中へと消えていった。

 

 最後に部屋から出ようとしている親分が、一度だけ振り返って、角燈{ランタン}で藻抜けの殻となった室内を照らし出した。

 

「ふっ、あばよ、いい夢見ろよ♡♥」

 

 自分ではカッコをつけたつもりだろうか。独自性のない捨てゼリフを吐いて、金庫室をあとにした。


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