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『剣遊記閑話休題編U』

第三章 ヴァンパイア娘の大災難。

     (1)

「うぷっ!」

 

 いくら不死身のヴァンパイアであっても、首を絞められると息ができなくなる。

 

 だから悲鳴を上げることさえもままならず、彩乃はそれこそワラをもつかむ思いで、虚空に両手を伸ばすしかできなかった。

 

 完全に抵抗の手段がないのだ。

 

 すぐに左手で首に喰い込んだヒモを逆につかみ取ろうと、必死になって爪を立ててみた。ところが絞めるほうも絞めるほうで、どうやら全力を振り絞っているようだ。少々悪あがきなど、首絞め魔にはまるで通用しなかった。

 

 これではなんだか、彩乃はヴァンパイアであることを、事前に承知しているかのようでもあった。とにかくまったくもって、手加減がカケラもないのだ。

 

 たとえヴァンパイアであっても――首を絞められたぐらいでは死に至らないまでも――失神させることは充分に可能である。そのあとでゆっくりと、心臓に杭でも打ち込めば、すべては完了。そんな風に考えれば、これはやはり、彩乃の素情を知っている者の仕業なのか。

 

 半分薄れかけた意識の中で、そこまでの考察をすることができた彩乃であった。そうなると当然、浮かんでくる顔は、祐二のいやらしい笑い顔に他ならなかった。

 

(……やっぱ……祐二がわたしば殺そうっちしよんばい……理由もわからんとに……ずえったい許せんけぇ!)

 

 怒りが脳内に充満したとたんだった。彩乃に宿るヴァンパイアの底力が、ついに爆発した。それも瞳が黒から金、さらに赤へ変わるのと同時、爪を立てていた左手が、とうとう首に絡んでいたヒモを、ギュッと力強くつかみ取った。さらに満身の力を込めて、ヒモをブチッと引きちぎる。そのついで、襲撃者の左手を狙って、ガブッと鋭い牙を突き立てた。

 

「!」

 

 これには襲撃をかけた下手人のほうが、見事に怯んだようである。それでもひと声も出さない根性は、これはこれでまずはご立派。しかし逆上した今の彩乃に、そのような威勢は、一切関係がなかった。

 

「げほっ! ダ、ダイねぇ! 顔ば見せんしゃい!」

 

 血液までも吸い上げる気は、さらさらなかった。そこですぐに噛み付いている相手の左手から牙を抜き、彩乃は咳き込みながらも気丈に振る舞って、襲撃者へ逆襲をかけようとした。

 

 しかしあいにく、襲撃者は頭からスッポリと、まるで忍者のような覆面をかぶっていた。おまけにダブダブの黒い服装(上着からズボンまで)なので、体格以外の人相その他が、まったくもってわからなかった。

 

 しかも襲撃者は、ヴァンパイアとまともに格闘をやらかそうなどの、愚を犯さなかった。

 

「あっ! 待ちんしゃい!」

 

 覆面をつかみ取ろうとした彩乃の左手を強引に払いのけ、襲撃者は一目散に背中を向けて逃走した。裏道のさらに奥となる、山の方向へ向かって。

 

 実に逃げ足の速い襲撃者であった。ただし後ろ姿の感じからして、そいつは男性に違いなかった。それも彩乃にとって、見覚えがある体型の。

 

「絶対逃がさんのやけぇ!」


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